榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『赤毛のアン』シリーズは児童書ではなかった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3571)】

【読書の森 2025年1月13日号】 情熱的読書人間のないしょ話(3571)

ジョウビタキの雌(写真1~3)、ツグミ(写真4、5)、カワセミの雌(写真6、7)、コイ(写真8)をカメラに収めました。コイを眺めている同じ町会のTさん親子にばったり出会い、可愛い盛りの2歳のW君をパチリ!(写真9)。ニホンズイセン(写真10)、ソシンロウバイ(写真11、12)が咲いています。因みに、本日の歩数は11,594でした。

閑話休題、私は老年男子であるが、ルーシー・モード・モンゴメリの『赤毛のアン』シリーズの熱烈なファンです。新潮文庫版の村岡花子訳「赤毛のアン・シリーズ」10巻を一気に読み終え、現在も、書斎の書棚から取り出しては気に入っている箇所を拾い読みしています。

シリーズを俯瞰してみましょう。『赤毛のアン』のアンは、カナダのプリンス・エドワード島の美しい自然に恵まれた村で、マシュウとマリラの愛情に包まれ、友情を大切にしながら、学校生活を楽しみます。さまざまな失敗を重ねながら、魅力的な少女に成長していきます。続編の『アンの青春』では、少女から女性へと変身していくアンの多感な日々が展開されます。続く『アンの愛情』はアンの大学生活と恋がテーマです。次の『アンの幸福』ではアンの婚約時代が綴られ、アンは身近な女性から「『あたしはきょうはどんなうれしいことを発見するかしら?』――これがあなたの生活態度に思えるわ、アン」と羨ましがられます。さらに『アンの夢の家』ではアンの新婚生活が、『炉辺荘(イングルサイド)のアン』では6人の子育てに奮闘するアンが、『アンの娘リラ』では、第一次世界大戦で息子を失う母親アンの悲しみが描かれます。この他に、『アンの友達』、『アンをめぐる人々』、『虹の谷のアン』が含まれています。

今回、手にした『赤毛のアン論――八つの扉』(松本侑子著、文春新書)には驚くべきことが書かれています。

●その1つは、『赤毛のアン』シリーズは児童書ではないという指摘です。

モンゴメリの原書の「文体と語彙から、子どもむけに書かれていないことは一目瞭然です」と断言しています。

著者・松本侑子の愛するアンとモンゴメリの研究は「初めて村岡花子訳『赤毛のアン』を読み、こんなに面白い小説が世の中にあったのかと昂奮の面持ちで目をあげ、明るい日ざしに光り輝く不思議なもやを見たあの14歳の秋の日に始まったのです」。

「村岡花子訳は1950年代に求められる上質な翻訳」だが、村岡訳が抄訳であり、改変も多いことから、「凝った文章を書く小説家モンゴメリも正確な全文訳を望むだろうと思い」、『赤毛のアン』シリーズの日本初の全文訳(文春文庫版の全8巻)を完成させたと述べています。

なお、「村岡花子訳『アン』で聖書由来の言葉が省かれている理由も、日本にはキリスト教徒が少ないため」だろうと、村岡に配慮を示しています。

●もう1つは、『赤毛のアン』シリーズはキリスト教文学だという指摘です。

牧師夫人であるモンゴメリによって書かれたキリスト教文学だというのです。

モンゴメリの夫ユーアン・マクドナルドが、1935年に精神的な病気のために牧師を引退したので、モンゴメリも牧師夫人の責務から解放されます。

「モンゴメリは、幼いころより信心深い祖父母と長老派教会へ通い、結婚後は、牧師夫人として教会で働き、信仰生活を送りながら22冊の小説と1冊の詩集を発行し、約500件の短編を雑誌に発表しました。長老派教会の信仰とともに育ち、暮らし、祈り、書き続け、夢と希望に満ちた文学的な作品が多くの人々に愛された人生でした」。

本書のおかげで、筆名がL・M・モンゴメリ、本名がルーシー・モード・モンゴメリだということを知ることができました。

著者に聞きたいことが一つあります。モンゴメリの夫については、「自分が道徳や宗教の罪をおかしているために天国に行けないと悩む宗教的憂鬱について(モンゴメリの夫ユーアンは、この不安症から鬱病になり、医師にかかっていました)」と記していますね。一方、モンゴメリの死因は冠状動脈血栓症とされてきたが、真相は深刻な神経衰弱による服毒自殺だったことが2008年9月に公表された事実に触れていないのは、なぜでしょうか? 牧師のユーアンにとっても、牧師夫人のモンゴメリにとっても、キリスト教の信仰が魂の救いになり得なかったことは残念の極みです。