船戸与一作品は、読む価値がないのか、それとも、大変な傑作なのか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3637)】
トラツグミ(写真1、2)とは5年ぶりの出会いだったのに、満足いく写真は撮れませんでした(涙)。ヒバリ(写真3)、タヒバリ(写真4~6)、スギナの胞子茎であるツクシ(写真6、7)をカメラに収めました。千葉県の最重要保護生物であるキクザキイチゲ(写真9、10)、ハクモクレン(写真11、12)が咲いています。ミツマタ(写真13、14)が濃厚な香りを放っています。早朝、2階のヴェランダで洗濯物を干していた撮影助手(女房)が、カワラヒワ(写真15)をパチリ。
閑話休題、『文芸編集者、作家と闘う』(山田裕樹著、光文社)には、作家と編集者に関する興味深いエピソードがてんこ盛りです。
●『風と共に去りぬ』の発売直後に、「あなた自身をモデルにしてスカーレットを書いたのですか?」という質問に対し、マーガレット・ミッチェルは「私をスカーレットみたいな自堕落な女だと思っていらっしゃるのですか」と答えた。
●船戸与一も逢坂剛も、自分が書いているのはハードボイルドだと公言していた。
●船戸は凄まじい漢であった。いつでも人生終焉の日を考えていたのだ。
●東野圭吾は、物理トリックにも優れていて、人間も生き生きと描けているという両面を満たしている。東野作品の動機のユニークさは、「その人間にしかわからないプライドの問題」ではないか。東野は自己プロデュース能力にも非常に優れている(著者・山田裕樹は、東野は松本清張を超えていると絶賛しているが、清張の域には達していないと私は考えています)。
●山田は、13年間、小さな出版社でひっそりと執筆を続けてきた高野秀行の実力を見抜いた。
●純文学畑の評論家・福田和也が『作家の値打ち』の中で、「船戸作品は理解不能につき読む価値はなく、それどころか『商品』として流通していることが信じがたい。出版する価値さえもない」と断定していることに、山田は憤っている。私は船戸作品は何も読んだことがないので、福田と山田のどちらに軍配を上げるべきか材料を持ち合わせていません。そこで、山田が、『モンテ・クリスト伯』に比肩する大変な傑作という『猛き箱舟』を読んで判断しようと考えています)。
●西村寿行の文体は典型的な悪文であるが、類を見ないほどの強烈な習慣性がある(私は、強烈な習慣性という指摘には賛成だが、悪文という断定には異論があります)。