主人の奴隷を増やさないために自ら中絶を行っていた女奴隷たち・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3701)】
粘った甲斐があり、アシ原でけたたましく囀るオオヨシキリの雄(写真1~6)をカメラに収めることができました。ヤマボウシ(写真7)、ベニバナヤマボウシ(写真8)、ブラシノキ(写真9、10)、キンシバイ(写真11、12)が咲いています。我が家の庭師(女房)には頼らずに、枯れないように私がちゃんと水遣りをするという約束をして、漸く、苔玉のイロハモミジ(写真13)を購入することができました。因みに、本日の歩数は15,040でした。
閑話休題、『奴隷・骨・ブロンズ――脱植民地化の歴史学』(井野瀬久美惠著、世界思想社)で、とりわけ興味深いのは、●主人の奴隷を増やさないために自ら中絶を行っていた女奴隷たち、●遺伝子に刻まれた奴隷制の歴史、●ブラジル史における先住民の奴隷化の惨状、●先住民の若き首長の反乱失敗の顛末――の4つです。
●主人の奴隷を増やさないために自ら中絶を行っていた女奴隷たち
19世紀初頭のカリブ海域の英領植民地における奴隷出生率が低かったのは、女奴隷たちが自らの意志で行った中絶が原因であったことが判明している。子供が奴隷にされることを防ごうとしたのである。彼女たちが中絶に使ったのはオウコチョウ(英名:ピーコック・フラワー)という植物の種子である。
●遺伝子に刻まれた奴隷制の歴史
2020年、DNA解析研究により、現在南北アメリカで暮らす人々と過去の奴隷貿易との関係が明らかになった。彼らはどこで奴隷とされたのか、どの港から連れてこられたのかが突き止められた。遺伝子には、大西洋上の奴隷貿易ルートのみならず、南北アメリカ大陸間の奴隷移動も記録されていたのである。
●ブラジル史における先住民の奴隷化の惨状
1884~85年にベルギー王レオポルド2世の個人所有が認められた「コンゴ自由国」は特殊な植民地である。この地域のゴム採集の労働力や食糧供与のために村々に要求された過酷な徴用実態や、ノルマが達成できなかった村や現地人への数々の虐待の実態が報告されている。先住民の体に残る生々しい鞭打ちや火傷の跡、アラナ商会を示すCAの焼き印、四肢切断、殺人などである。
●先住民の若き首長の反乱失敗の顛末
1908年5月、妻をレイプしたPAC(ペルー・アマゾン会社)の幹部を殺して密林に逃亡した先住民ボラ族の若き首長・カテネレは、2年余り逃げ続けたが、PACに捕まった妻が水も食事も与えらないまま晒し台に放置され続ける姿に耐えかねて投降し、数々の拷問の末に処刑された。虐待に沈黙して奴隷状態に耐え続ける先住民たちの中で、雄々しく立ち上がったカテネレの悲劇である。
最初から最終ページまで、怒りが込み上げっ放しの一冊です。