ひとり者は、病院や介護施設ではなく、慣れ親しんだ自宅で死を迎えよう・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2203)】
ラナンキュラス(写真1~3)、ハナアロエ(ブルビネ・フルテスケンス。写真4、5)、アオキの雌花(写真6)、雄花(写真7)、アメリカハナズオウ‘シルヴァー・クラウド’(写真8)が咲いています。
閑話休題、『在宅ひとり死のススメ』(上野千鶴子著、文春新書)は、ひとり者でも、認知症でも、病院や介護施設ではなく、慣れ親しんだ自宅で死を迎えようと呼びかけています。
そんなことはとても無理だろうと思っていた私も、著者の具体的で説得力のある説明に大きく頷いてしまいました。
私の知らなかったことがたくさん書いてあり、大変勉強になりました。
●(高齢者世帯の独居率は)2019年には27%と急増。夫婦世帯率は33%と高齢者のみの世帯の合計が5割を越えます。夫婦世帯は死別離別による独居世帯予備軍だと考えれば、近い将来、独居世帯は半分以上になるでしょう。
●(大阪府下の耳鼻咽喉科医の辻川覚志さんの調査では)「独居高齢者の生活満足度のほうが同居高齢者より高い」というデータが得られました。
●(辻川さんによれば)「満足のいく老後の姿を追いかけたら、結論は、なんと独居に行き着いたのです。老後の生活満足度を決定づけるものは、慣れ親しんだ土地における真に信頼のおける友(親戚)と勝手きままな暮らしでありました」。この結論は、①慣れ親しんだ家から離れない、②金持ちより人持ち、③他人に遠慮しないですむ自立した暮らし、を唱えてきたわたしの主張とみごとに重なります。辻川さんも施設入居はお勧めしません。それどころか、「これらは、どんなに高級な高齢者向け施設にも存在し得ないものです」ときっぱり書いておられます。どんな富裕層向けの老人ホームへ行っても、わたしが羨ましいと思わないのはそのためです。
●日本人の死因からわかることは、大量死時代の大半の死が、加齢に伴う疾患からくる死だということです。すなわち、予期できる死、緩慢な死です。幸い介護保険のおかげで、多くの高齢者がケアマネージャーにつながります。介護保険の要介護認定率は高齢者全体では平均2割程度ですが、加齢と共に上昇し、80代後半では5割、90代では7割から8割に達します。つまり多くの高齢者は死ぬまでの間に要介護認定を受けるフレイル期間を経験しますので、たとえのぞんでも、ピンピンコロリなんてわけにはいかないのです。要介護認定を受けた高齢者は、ケアマネがつくだけでなく、疾患があれば訪問医と訪問看護師につながります。在宅のままゆっくり下り坂を下って、ある日在宅で亡くなる・・・ためには、医療の介入は要りません。医療は治すためのもの、死ぬための医療はありません。医師の役割は、介入を控えること、そして死後に死亡診断書を書くことです。
●病院にいて幸せな年寄りはいません。病院はそもそも暮らしの場所ではありませんから。それなら最期は施設で、となるでしょうか。・・・施設が合う、合わないに個人差はありますが、ホンネをいうと、わたしは施設にもデイサービスにも行きたくありません。集団生活がキライだからです。・・・デイサービスに行くことを勧めるのは家族のつごう、家にいたほしくないからです。だましたりすかしたりしてデイに行って、行ってみたら居心地がよかった、それから愉しみにしているというひともいるのはたしかですが、自分から進んで出かけるわけではありません。保育園に送られる子どもと同じです。
●(サービス付き高齢者住宅の)「サービス付き」というのは食事と安否確認がつく、という程度です。これまでは自立型サ高住とか住宅型サ高住とか言われてきましたが、「自立」できるなら、わざわざ自宅を離れて賃料を払ってまで賃貸住宅に住む理由がありません。・・・サ高住のサービスの品質管理はほとんど野放し状態です。・・・家賃を払わなくてもすむ自宅で、サ高住と同じく訪問介護・訪問看護・訪問医療の3点セットを外付けすればよいだけですから。
●(小笠原文雄さんの『なんとめでたいご臨終』によれば)医療保険の本人1割負担、介護保険の本人1割負担に加えて、自己負担サービスが月額3万~4万円。これは死の3カ月前に、夜が不安だとおっしゃるので、自費で夜間ヘルパーさんを入れた経費だそうです、総額は月に40万~50万、本人負担は7万~8万程度にすぎません。在宅ひとり死は、お金はいくらかはかかるが、いくらもはかからない、と言ってきたことが、データで裏づけられた思いです。
●たとえ終末期でも、病院や施設で誰かが傍に24時間はりついているなんてことはありません。何時間かおきに巡回に来るだけです。それなら定期巡回の訪問介護を受けるのと同じ。
●認知症者が独居の在宅で暮らせるか、ですって? 生活習慣が維持できなくなっても、訪問介護に入ってもらえば食事も入浴もできます。なじみのあるヘルパーさんなら、施設のように抵抗することもありません。自分で食事の用意ができなくなれば配食サービスをお願いすればよい。認知症の人でも食事を出せば、ぱちりと目を開けて召し上がります。食欲は生きる意欲の基本のキ。食べられるあいだは食べていただいて、機嫌よく下り坂を降りていってもらい、そのうち食べられなくなったり、寝たきりになったりしたら、認知症があろうがなかろうが、ケアは同じです。実際、そうやって独居の認知症の高齢者を、在宅のまま見送ったという事例も耳にするようになりました。
●成年後見は社協や福祉公社、福祉生協やNPOなど、社会的に信頼のおける団体に託すほうがよさそうです。
●実際にプロの介護を受けたら、家族の介護よりもずっと快適であることはすぐに実感するでしょう。
●家族の介護力が失われた高齢者の在宅生活を支えるには、介護保険の力が不可欠ですし、事実介護保険の生活援助は高齢者、とりわけ独居高齢者の在宅生活を支えてきました、ところが政府の改定方針は、高齢者の在宅生活を困難にする方向に向かうばかりです。この政府のシナリオを、なんとしても世論の力で押し戻したい! お声をかけたら、同じように危機感を抱いたひとたちが、全国各地からぞくぞくと集まりました。300人の会場を埋めた現場のひとたちの熱気を、お伝えしたいと、その声を集めて緊急出版したのが『介護保険が危ない!』(岩波ブックレット、2020年)です。ぜひ手にとってみてください。