ある土地に囲いをして「これはおれのものだ」と言うことを思いついた最初の人間が、政治社会の真の創立者であった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(3879)】
シオン(写真1、2)が咲いています。トキワサンザシ(写真3)が実を付けています。今宵は、今年最も大きく見える満月、スーパームーンです。ところが、雲が厚くて姿が見えません。これは昨晩撮影しておいたものです(写真4)。嘘つき(月)と責めないでね!(笑)





閑話休題、『ルソー』(平岡昇責任編集、中央公論社・世界の名著)に収められている『人間不平等起原論』(小林善彦訳)は、ジャン=ジャック・ルソーが、1753年に、「人々の間における不平等の起原は何か、それは自然法によって正当化されるかどうか」と問いかける懸賞論文に応じて書かれたものです。
この論文の第1部において、ルソーが自然人の像を克明に描いたのは、自然人が彼にとって、人間と社会の根源に遡って、その本質を極めるために設定された必要な仮説、それなくしては人間の本質を知ることのできないものだったからです。
「森の中を迷い歩き、生活技術もなく、ことばもなく、住居もなく、戦争も同盟もなく、同胞を少しも必要としないが、また彼らに危害を加えることも少しも望まず、おそらくは同胞のだれかを個人的に覚えていることすらけっしてなく、未開人はごくわずかな情念に従うだけで、自分だけでことが足り、この状態に固有の感情と知識の光しかもっていなかったのである」。
ルソーのいう自然人は、素朴な自然生活の中で、肉体的不平等は別として、いわゆる社会的不平等を感じることなく、完全な自由と平等と独立を享有しています。
第2部は、「ある土地に囲いをして『これはおれのものだ』と言うことを思いつき、人々がそれを信ずるほど単純なのを見いだした最初の人間が、政治社会の真の創立者であった」と始まります。
土地所有権・私有財産・富というものが、社会状態、政治制度と密接な関係を持っていること、土地の所有の確立とその観念の発生が、自然状態の終結と社会的不平等を決定する最初の根本的な因子であったというのです。
やがて牧歌的な自然状態の平和は完全に破壊されて、社会状態の最後の段階である専制政体と自然性を窒息させられた人為人の極致である主人と奴隷とに至る悲惨な失楽園の経路が、異常な迫力をもって描かれます。
「さまざまな変革のなかに不平等の進歩をたどってみれば、法律と所有権との成立がその第1の時期であり、為政者の職の設定が第2の時期で、第3の最後の時期は合法的な権力より専制的な権力への変化であったことが見いだされるであろう。そのようなわけで、富者と貧者の状態が第1の時期によって認められ、強者と弱者の状態は第2の時期によって、そして第3の時期によっては主人と奴隷の状態が認められるのであるが、この第3の時期は不平等の最後の段階である」。
「人民はもはや首長も法律ももたず、単に専制君主だけしかもたなくなるだろう。・・・専制主義が口をきくやいなや、意見を参照すべき誠実も義務もなく、そしてこのうえもない盲目的な服従だけが、奴隷たちに残された唯一の美徳なのである」。これが不平等の最後の到達点なのです。
そして、本論文は、この種の不平等は「明らかに自然法に反している」と結ばれています。
