日本人が皆殺しにされた尼港事件を、君は知っているか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(4025)】
高らかに囀るホオジロの雄(写真1)、シメ(写真2)、ツグミ(写真3)、ヒヨドリ(写真4、5)、クイナ(写真6~10)、トモエガモの雄(写真11~13)、ヒドリガモの雄と雌(写真14)、マガモの雄と雌(写真15)、雄(写真16)をカメラに収めました。カントウタンポポ(写真17、18)が咲いています。




















閑話休題、『逆説の日本史(29)――大正暗雲編 対華二十一箇条と尼港事件の謎』(井沢元彦著、小学館)のおかげで、1920(大正9)年に起きた凄惨な尼港(にこう)事件の存在を知ることができました。
「隠蔽された闇『尼港事件』――日本人を『ロシア嫌い』にした凄惨な大虐殺の真相」の章に、目が釘付けになりました。
●尼港とは地名で、現在のロシア領(当時はソビエト連邦領)のニコラエフスク・ナ・アムーレのことで、アムール川の河口に位置する都市である。シベリア出兵で多くの日本兵とそれを支える民間人が大陸に「進出」したが、尼港は当初白軍(はくぐん。反ロシア革命派軍)の拠点でもあったため輸出も含めた漁業に従事する日本人が数百名在住していた。日本領事館もあり、陸軍の一個大隊と海軍の通信隊も駐屯していた。つまり日本の事実上の占領地であり、赤軍(せきぐん。ロシア革命軍)に敗れた白軍の部隊もここへ逃げ込んできていた。日本にとって白軍は友軍だから彼らとは敵対せず、もちろん武装解除も求めず平和的な共存状態を保っていた。
●日本海軍が大陸への進入路として活用する可能性があった尼港の奪回を赤軍は策した。その赤軍の司令官はヤーコフ・イヴァノヴィチ・トリャピーツィンという問題人物であった。何と、軍人の捕虜だけでなく民間の日本人も皆殺しにし、さらにロシア系住民、中国系住民なども虐殺した上に、市街地に火をかけて焼亡させたのである。
尼港事件が隠蔽され、教科書にも載せられていないのはなぜか?「『共産圏の国家の悪は暴きたくない』というインチキ歴史学者どもの学説」のせいだというのです。
公平を期すために記しておくが、20代半ばのトリャピーツィンが率いた4000人は、正規の赤軍ではなく、ソビエト政府公認の赤色パルチザンでした。また、さすがにソビエト政府もこの暴挙を見逃すことはできず、トリャピーツィンは逮捕され、側近とともに死刑判決を受け処刑されました。しかし、その判決文には日本人虐殺の罪は含まれていませんでした。
