榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

インドの不可触民解放に命を懸けて邁進する日本人僧・・・【情熱の本箱(52)】

【ほんばこや 2014年9月23日号】 情熱の本箱(52)

差別に対して鋭敏な感覚を有する年下の友人・國吉真樹から佐々井秀嶺(しゅうれい)の名前は聞かされていたが、インドで展開する彼の仏教がどういうものなのかは知らなかった。今回、國吉の薦める『破天――インド仏教徒の頂点に立つ日本人』(山際素男著、光文社新書)を読んで、釈迦の仏教を独自に発展させたものであることに驚くと同時に、ヒンドゥ教のもと3000年に亘り、奴隷より下位の家畜同然の存在として虐げられてきた不可触民を救うためには必要な改変であることを痛烈に思い知らされた。

「テレビのモニターには、数百人の褐色の膚の聴衆を相手に、大音声で呼ばわる老齢の日本人と思しき男の姿が映し出されている。『アンベードカルは考え抜いて、私達に新しい仏教を齎してくれました!』。真っ赤な僧衣を身に纏った男の声は力強く、鋭く、しかし不思議な包容力を備えていた。『前世や後世などということ、すべて、アンベードカルは信じていませんでした』。『仏教には前世、後世などというものはありません。また神様もいないのです!』。『極楽もなければ地獄もない。魔法もなければまじないもありません!』。『アンベードカルは自分の人生に正面から立ち向かいました。だからあなたたちも目を開いて堂々と前を向いて行動してください!』。なるほど、これが現代インドにおける仏教復興運動を率いる人物の説法かと感心した。日本の僧侶の口からは決して出て来ない、シンプルな、それでいて誤魔化しのない、臓腑に響きわたるような言葉だったからだ。・・・佐々井秀嶺というのがその僧形の男の名である。彼こそは、一説によると信奉者数が1億5千万にも上るとされるインド新仏教の二代目の指導者なのだ。・・・(インドでは仏教は)13世紀頃に、一旦滅亡したことは事実なのだが、20世紀にビーム=ラーオ・ラームジー・アンベードカルによって再興の端緒が開かれ、その思想と剛志を受け継いだ佐々井秀嶺の活動で、この混迷の21世紀初頭、いよいよ崛起しつつある。・・・1935年、岡山県の山村に生まれ、長じて生き方に惑い彷徨した挙句、行倒れ寸前のところを寺に拾われる。寺男となったのを皮切りに、高尾山薬王院で得度まで漕ぎつけたものの、寺院暮らしに飽き足らず、仏教浪曲師や易者として陋巷に出没する。この頃の佐々井は、燃え盛る煩悩の塊のような男で、体の深奥から湧出する生命力を抑えるのは並大抵の意志では適わなかっただろう。命懸けの求道の決志だけが辛うじて彼を支えた。そしてインドへ。この遊学の地でも佐々井は真直さと不器用さゆえ、方々で衝突し、曲折だらけの道程を辿る。・・・(やがて、今は亡きアンベードカルの新仏教に出会った)極東の仏教国からやって来た新しい指導者は、沈滞していた仏教再興に弾みをつけた。佐々井は、神や霊魂、輪廻転生や業の相続の否定こそが仏教の核心であるとする合理主義に貫かれた『ブッダとそのダンマ(理法)』をバイブルとする運動に、情念の熱を吹き込んだ。佐々井に率いられた(ヒンドゥ教からの)仏教改宗や聖地奪還のムーヴメントは、インド全土に蔓延る差別と腐敗を焼き尽くす青く冷たい焔のように拡がっていったのである。『前世の行いによって<生まれ>が決まる』――カースト制度を根底から支える業思想、輪廻思想を、宗教的次元において打ち砕くネオ・ブディズムは、佐々井の獅子奮迅の啓蒙活動と相俟って、あらゆる社会的、観念的制縛に喘ぐ不可触民たちのあいだに、干天の慈雨のように染み込んでいる。仏教は、一度地を掃った故国でいま力強く再興しつつある」。巻頭に置かれた宮崎哲弥の「仏教史の新しいドラマ」というこの一文が、本書の性格を的確に示している。

「新生独立国インド憲法の起草者であり、初代法務大臣B・R・アンベードカル・・・彼は『不可触民』の子であった。インドには古代から『カースト制』というものがあったことはよく知られている。日本語では四姓制度といわれる苛酷な身分制度である。最上位がブラーミン(僧侶、司祭階層)、ついでクシャトリヤ(王族、戦士階層)、ヴァイシャ(商人、労働者階層)、シュードラ(上位3カーストに奉仕する奴隷労働者階層)と称する4つのカーストがそれだ。しかし、この4カーストに入ることを許されない不可触民階層が存在していた。この人びとは文字通り家畜以下の『生物』として扱われ、人間的、社会的権利を全く認められず、上位カースト者は触れることも見ることすらも不浄とし、共同体社会から隔離され、水すら与えられなかった。このような制度は3千年もの間つづけられ、不可触民は奴隷以下の存在としてあらゆる辛酸と差別を受けてきた。現在、元不可触民は指定カーストと呼ばれ、特定の社会的弱者保護の対象になっている。その数はインド人口の約25パーセント、2億人を超える。この不可触民の解放に立ち上がり、不可触民制の打破を実現したのがアンベードカルである。1891年4月14日に生まれ、1956年12月6日、65歳の生涯を閉じた」。秀嶺は、偶然の出来事がきっかけで、アンベードカルの衣鉢を継ぐことになる。

マハートマ・ガンディーとアンベードカルの相違・軋轢は重要である。「マハートマ・ガンディーを不可触民解放の父といっているが、これは正に歴史の捏造である。アンベードカルこそが不可触民の父なのだ」。「アンベードカルはガンディーの偉大な人間性を少しも疑うことはなく、一人間としての彼への尊敬を失うことはなかった。しかし、特にガンディーのカースト制擁護思想と不可触民救済方法については決して容認できなかった。ガンディーのカリスマ性を政治的に最大限に利用しようとするカースト・ヒンドゥ勢力とは死を賭して戦いつづけた」。

実現はしなかったが、初代首相、ジャワハルラール・ネール自身が仏教に改宗したいと申し出たというエピソードには、驚いた。「ネールのヒンドゥ教嫌いは周知のことであった。・・・アンベードカルを初代法務大臣に据え、憲法草案起草委員会議長とし、『不可触民制廃止』を謳う憲法を成立させ、・・・旧態依然たるヒンドゥ教を抜本的に改革し、男女の平等や民主主義思想に基づく家内法作りの後押しをしたのもネールであった。彼自身もヒンドゥ保守主義の厚い壁と戦ってきた改革者の一人であったのだ」。一方、本書で言及されているネールの孫、サンジャイ・ガンディーの暴挙には唖然とした。

仏教徒集会における秀嶺の説法の一節は、こんなふうである。「みなさん、心というものは我々の体に宿っているのですから、私たちはそれを感得し、真っ直ぐに自分を見詰め、己れを見極め、自分の苦しみの根元が心に在るという探求を仏教は今日まで持ちつづけています。その探求方法が瞑想であるとする瞑想仏教が、今日、インドでも普及しつつありますが、私は真っ向からそれに対決しています。瞑想、禅定仏教が間違っているとはいいません。しかし今日、21世紀インドに仏教復興を成し遂げたアンベードカル菩薩の思想と実践は、瞑想仏教と対決するものであり、それは丁度カトリック、旧教に対決したマルチン・ルッターのプロテスタント、新教のごとく、アンベードカル菩薩はインドに仏教による革命によって2億の不可触民を人間として解放し、カースト社会を打破し、インド全体をも解放し、さらにそれを全世界に広げてゆくというものであり、私もその思想と実践に全身全霊をもって当っている一人だからです。そのような人間解放こそがこの世における即身成仏への道であると信じているからであります」。「アンベードカル博士の説く仏教と運動は、インドに復興させた仏教を先ずインド全土に広め、次第に世界平和実現に向かって進もうとするものだ。大乗も小乗もない、その相違を乗り越えてゆく新しい仏教運動、思想なのだ。そしてそれを成し得るのは我々インド仏教徒であり、それが我々の使命なのだ。我々はそのような大事業を目指して戦っているのである。さあ、私と一緒に立ち上がろう。そしてアンベードカル菩薩の偉大な志を全世界に訴え、広めてゆこうではないか」。

しかし、秀嶺の運動は、運動を危険視する既存勢力によってさまざまな妨害・迫害を受ける。大きな波のうねりのように間断なく展開された第1次闘争~第10次闘争を経て、秀嶺は今なお、その先頭に立ち続けている。

この本は、新書ではあるが600ページ近くあるため、ずしりと重い。しかし、本書が私の心に残したものは、その何倍も重いのである。