榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ユークリッドからデカルト、アインシュタインを経て「ひも理論」に至る幾何学の革命の物語・・・【情熱の本箱(85)】

【ほんばこや 2015年5月17日号】 情熱の本箱(85)

ユークリッドの窓――平行線から超空間にいたる幾何学の物語』(レナード・ムロディナウ著、青木薫訳、ちくま学芸文庫)には、読み始めるや否や、引きずり込まれてしまった。私の最も苦手とする幾何学を縦糸として、ユークリッドからデカルト、ガウス、アインシュタインを経て、ウィッテンのひも理論、M理論に至るまでが物語られているのだが、これが桁外れに面白いのだ。

「豊かな実りをもたらした第一の幾何学革命の声明文を執筆したのは、ユークリッドという謎の男だった。もしも読者が、ユークリッド幾何学のことなどほとんど覚えていないと言うなら、それは授業中ずっと居眠りしていたからだろう。幾何学を学校の授業のように教わったのでは、頭が石になってしまう。しかしユークリッド幾何学は、ほんんとうはとてもおもしろいのだ。ユークリッドの研究は美しく、その影響力は聖書に匹敵し、・・・過激だった。なにしろ彼が著書『原論』によって開いたのは、宇宙の姿を見せてくれる窓だったのだから」。私は、まさに、頭が石になってしまったケースの人間だ。

「ユークリッド(エウクレイデス)自身は、幾何学の重要な定理をただのひとつも発見していないかもしれない。それでも彼は、古今を通じてもっとも有名な幾何学者であり、それには十分な理由がある。なぜなら1000年の長きにわたり、人びとが幾何学を見るときは、まず『ユークリッドの窓』を通して見ていたからだ。今日ユークリッドは、『空間』という概念に起こった最初の大革命を象徴する人物となっている。その革命で生まれたのが、『抽象化』と『証明』である」。ユークリッドは、自分の役割を、幾何学に関するギリシャ人の知識をまとめて体系化することだと考えていたのだ。「ユークリッドが目指したのは、直観のもとにこっそりと忍び込んでくる暗黙の仮定や、当て推量、厳密さの欠如などを、自分の理論体系から閉め出すことだった」のである。

「新しい幾何学を作ったのは、文明の申し子のような男だった――賭け事を好み、昼過ぎまでごろごろ寝ていて、ギリシャ人の幾何学は回りくどすぎると文句を言うような人間である。その男、ルネ・デカルトは、頭の負担を減らすために幾何学と数とを結びつけたのだった。デカルトが発明した座標というアイディアのおかげで、位置や形は新しい手法で扱われ、数は目に見えるように表示された。座標のテクニックは微積分の基礎となり、現代のテクノロジーが発展する土台ともなった。固体電子工学から時空の大規模構造まで、あるいはトランジスタ、コンピュータ、レーザーの技術から宇宙旅行まで、物理学のあらゆる領域で使われている。座標やグラフ、サインやコサイン、ベクトルやテンソル、そして角度や曲率といった幾何学的概念が生まれたのは、デカルトのおかげなのである。さらにデカルトの研究からは、曲がった空間という、抽象的かつ革命的な概念も生まれた」。デカルトは哲学の大物であっただけでなく、革命的な数学者でもあったのである。「座標というデカルトのアイディアの真に先進的なところは、座標そのものではなく、それをどう使ったかなのだ」。こういう表現ができる著者は只者ではない。

デカルトの人間的なエピソードも興味深い。「デカルトにはほとんど友人がなく、結婚もしなかった。しかし生涯に一度だけ、ヘレナという女性を愛したことがある。1635年、その女性とのあいだに娘が生まれ、フランシーヌと名づけられた。三人は、1637年から1640年までともに暮らしたと考えられている」。しかし、その後、フランシーヌが急病で死んでしまい、この喪失が彼を打ちのめし、ヘレナとの関係も終わりを告げたのである。

デカルトに先立つ中世末期の自然哲学者の重要人物として、ピエール・アベラールに筆が及んでいる箇所は、私にとって思いがけない嬉しいプレゼントとなった。なぜなら、私の愛読書である愛の往復書簡集『アベラールとエロイーズーー愛と修道の手紙』(ピエール・アベラール、エロイーズ著、畠中尚志訳、岩波文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)のアベラールの登場だからである。「最初の偉大なスコラ哲学者は、12世紀のパリで活躍したピエール・アベラールである。アベラールは、ものごとの真偽は論理的な吟味によって裁定できると論じた。だが中世のフランスにおいては、それは危険な説だった。アベラールは破門され、著書は焼かれた」。アベラールは聖書よりも論理的思考を重視したために困難な状況に追い込まれたのである。

「曲がった空間の幾何学は、幾何学のみにとどまらず、数学全体の論理的基礎に革命を起こした。アインシュタインの相対性理論ができたのも、曲がった空間の幾何学のおかげだった。空間と時間が統一されて時空となり、時空が物質やエネルギーと絡み合うようすを説明するアインシュタインの幾何学的理論は、物理学においてニュートン以来最大のパラダイム転換をもたらした。それは過激な変革に思われた。しかしそれも、近年起こった新たな革命にくらべれば穏やかな変革でしかなかったのだ」。確かにアインシュタインは偉大な物理学者であったが、彼の研究成果は通過点に過ぎなかったというのである。

「アインシュタインが耐えなければならなかった抵抗と悪意、そして彼が巻き起こした畏敬の念と英雄崇拝はさておき、彼の幾何学への貢献をひとことで言うならば、彼自身のさりげない次の言葉がもっともふさわしくはないだろうか。その革命的研究について、彼はこう書いたのだ。『目の見えないカブトムシが地表を這うとき、自分の来た道が曲がっていることに気づきはしない。それに気づいた私は、十分に幸福だった』」。

「1984年6月のある日、ジョン・シュワーツという科学者が、大きな突破口を開いたと言いだした。彼の理論によれば、原子内粒子がなぜ存在するのかも、それらの相互作用のようすも、はたまた時空の大規模構造からブラックホールの性質まで、あらゆるものが説明できるというのである。シュワーツは、宇宙の秩序と統一性を明らかにする鍵は幾何学にあると考えていた。・・・シュワーツのアイディアは、それぐらい独創的だったのである。彼はそれまでの15年、ひも理論と呼ばれるその理論だけをひたすら追いつづけていた。当時ほとんどの物理学者はその理論に対し、街なかで物乞いにつきまとわれたときのような反応をした。だが今では大半の物理学者が、ひも理論は正しいと考えている。もしそうなら、空間の幾何学が自然の法則を決めていることになるのだ」。

「今日の素粒子論研究者にとって、ひも理論とM理論は、知りませんではすまされないものになっているのだ。ひも理論やM理論、あるいはそこから派生する理論が、いわゆる『最終理論』になるかどうかはわからない。しかしいずれにしても、これらの理論がすでに数学と物理学の双方を変えてしまったのはまちがいない。ひも理論が登場したことで、物理学は相棒である数学のほうに向き直った。・・・今日、この理論の指導的研究者であるエドワード・ウィッテンが、ノーベル賞ではなく。数学のノーベル賞と言われるフィールズ賞を受賞したのは決して偶然ではない。幾何学と物質とがお互いの姿を映し合うように、数学と物理学もお互いの姿を映し合わなければならないのだ。ウィッテンはさらにこれを一歩進めて、ひも理論はいずれ幾何学の新領域になるだろうと言っている」。

「ウィッテンが踏み出した大きな一歩は、今日、第二の超ひも理論革命と呼ばれている。M理論によれば、ひもは基本粒子ではなく、『ブレーン』(膜<メンブレーン>の略)という、より一般的なものの一種である。ブレーンは、1次元であるひもの高次元バージョンだ。たとえば石けんの泡は2次元の世界だから、2ブレーンとなる。M理論によれば、物理法則がどんなものになるかは、ブレーンという複雑なものが行う複雑な振動によって決まる。またM理論には、くるりと丸まった次元がもうひとつあり、全体として10次元ではなく11次元になる。しかし何より奇妙なのは、ある根本的な意味において、M理論には空間も時間も存在しないことだ」。

「われわれが発見したものは、量子力学と一般相対性理論を矛盾なく結びつける唯一の数学的構造だと思う。まずまちがいなく正しいはずだ。だから、超対称性が実験的に見つかればうれしいが、もし見つからないとしても、私がこの理論を捨てることはないだろう」と、ウィッテンは自信を示している。

「ひも理論とM理論による革命は、空間概念を変えただけでなく空間の研究方法をも変えたという点では、これまでの革命と同じである。しかし今度の革命には、これまでとは異なる点がひとつある。それは、この革命が今まさに進行中であり、どんな結果になるかは誰も知らないということだ」。だから、M理論からは目が離せないのである。