情熱という名の女たち(その4)――引き裂かれても愛する師に修道院から手紙を送り続けた女・・・【情熱の本箱(4)】
花形教師と22歳差の女子学生
ピエール・アベラールはフランスの中世屈指の神学者、哲学者。若くして優れた学才を示し、その名声は天下に鳴り響く。彼の著作は広く読まれ、その自信に満ちた大胆な講義は学生たちの心を捉え、彼の教えを受けようと全国から集まってきた者は5000を超えたといわれる。
アベラールがその全盛期にあった39歳の時、出会ったのが、17歳の才色兼備の学生エロイーズ(1101~1164)である。彼女はパリの聖堂参事会員(司教の顧問)・フュルベールの姪であったが、美しいだけでなく、当時としては珍しい博学の女性として知られていた。
二人が襲われた悲劇
この22歳違いの二人の師弟関係はやがて恋愛関係に進む。ところが、ある夜、アベラールは、エロイーズの妊娠・出産を知り怒り狂ったフュルベールの回し者に寝込みを襲われ、男性のシンボルを失ってしまう。この事件を契機として、二人は世を捨て、別々の修道院に入ってしまう。
さらに、アベラールは学問上の論争から窮地に陥る。デカルトの先駆ともいうべき彼の理性を重視する学説は、正統的な信仰を揺るがす危険な反逆と見なされ、ローマ教皇から異端とされてしまう。以降、アベラールは論敵たちからの迫害に脅かされ続けることになる。
続けられた愛の往復書簡
このような状況下での二人の間の往復書簡をまとめたのが、世界中で最も著名な書簡集といわれる『アベラールとエロイーズ』である。
エロイーズの手紙は、古来、女性の書き得た最も激しい愛の言葉に満ちている。「たとえ全世界に君臨するアウグストゥス皇帝が私を結婚の相手に足るとされ、私にたいして全宇宙を永久に支配させると確約されましても、彼の皇后と呼ばれるよりはあなたの娼婦と呼ばれる方が私にはいとしく、また価値あるように思われます」、「私たちが一緒に味わったあの愛の快楽は、私にとってとても甘美であり、私はそれを悔いる気にはなれませんし、また記憶から消し去ることも出来ないのです。どちらの方へ振り向いても、それは常に私の目の前に押しかかり、私を欲望にそそります。眠っている時でも、その幻像は容赦なく私に迫ってまいります。ミサの盛儀に際してさえも、その歓楽の放縦な映像が憐れな私の魂をすっかりとりこにしてしまいます」という箇所など、極めて情熱的で、官能的でさえある。彼女の手紙は、「言葉が情熱の記号であること」を思い起こさせる。
二人の生きた時代が宗教と慣習でがんじがらめの中世であることを思えば、これは驚くほど率直な愛の表白・宣言と言えよう。「愛の書簡集」と呼ばれる第1書簡~第4書簡は、自分がどう生きるべきか、そして、それを突き止めるには愛することを学ぶしかないことを、私たちに時代を超えて教えてくれる。愛であれ、仕事であれ、遊びであれ、私たちはもっともっとひたむきであっていいと思う。人生の持ち時間なんて、そんなに多くはないのだから。なお、「修道の書簡集」といわれる第5書簡~第12書簡は修道院生活のガイドブックのようで、私たち向きでない。
往復書簡が与えた影響
ジャン・ジャック・ルソーの長篇小説『新エロイーズ』が、この書簡集に触発されて書かれたことは、よく知られている。
また、近年発表された『エロイーズ 愛するたましいの記録』(ジャンヌ・ブーラン著、福井美津子訳、岩波書店)や『エロイーズとアベラール――三つの愛の物語』(アントワーヌ・オドゥアール著、長島良三訳、角川書店)といった小説も、この書簡集を下敷きにしている。
【参考文献】
・『アベラールとエロイーズ――愛と修道の手紙』 ピエール・アベラール、エロイーズ著、畠中尚志訳、岩波文庫、1964年
・『アベラールとエロイーズ』 エチエンヌ・ジルソン著、中村弓子訳、みすず書房、1987年
・『エロイーズとアベラール――ものではなく言葉を』 マリアテレーザ・ブロッキエーリ著、白崎容子、石岡ひろみ、伊藤博明訳、法政大学出版局、2004年
・『アベラールとエロイーズ 愛の往復書簡』 ピエール・アベラール、エロイーズ著、沓掛良彦、横山安由美訳、岩波文庫、2009年