榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

弁証法の騎士と秀才少女の灼熱の恋・・・【山椒読書論(305)】

【amazon 『中世を旅する』 カスタマーレビュー 2013年11月8日】 山椒読書論(305)

私が愛の極致に触れたのは、若き日に夢中になった『アベラールとエロイーズ――愛と修道の手紙』(ピエール・アベラール、エロイーズ著、畠中尚志訳、岩波文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)によってであった。

中世を旅する――奇蹟と愛と死と』(新倉俊一著、白水社。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)は、フランス中世文学を通じて、中世ヨーロッパの人間に迫ろうという力作であるが、私にとって最も興味深かったのは、やはり、アベラールとエロイーズについて書かれた部分であった。

「『本当の武器の代りに弁証法(論理学)の武器を取り、実戦上の戦利品の代りに議論上の争いを択んだ』、この弁証法の騎士(=ピエール・アベラール)は、論敵を次々と打ち破り、ついにパリはモンターニュ=サント=ジュヌヴィエーヴの学校に君臨する。得意絶頂の彼、39歳の彼は、有力な聖堂参事会員フュルベールの要請を容れて、才媛の誉れ高い姪エロイーズの住込み家庭教師となった。エロイーズは賢いといってもまだ17歳の小娘、たちまち超一流の大先生に熱を上げてしまう」。

「『彼女は容貌も悪くなく、学問の豊富にかけては最も優れていた。学問上の才能は女性にあっては稀であるだけに彼女は一層光って見え、全王国中にその名を喧伝されていた。人をそそるあらゆる魅力をそなえているのを見て、私(アベラール)は、彼女を愛によって自分に結びつけようと思った』。頭がよく、いや抜群によく、非常に魅力的だが、器量はどうやら十人並みというところか。事実、『賢い』という評価は絶えず聞かされるが、『美しい』という評判ではなかったようだ。文句なしに才色兼備では、その他大勢は立つ瀬があるまい」。エロイーズは才色兼備と堅く信じてきた私には、何とも辛い一節である。

「事はアベラールの目算通りに運び、拒絶するどころか、エロイーズは進んで彼を迎え入れた。この知的ドン・ファンと性愛にも目覚めた秀才少女とが狂おしく愛に耽った場所、と記す標識板が、セーヌ河畔はノートル=ダム大聖堂のすぐ近く、1830年ごろ(!)に建てられた家の壁に貼ってある」そうだ。

「激しく飽かず繰り返される愛は、アベラールの研究と授業をなおざりにするのみならず、ついには妊娠という厄介な事態を招く」。体面に拘る叔父フュルベールは、アベラールの召し使いの一人を買収して、ある夜、眠っているアベラールの大事な部分を切り取らせてしまう。

この惨事の後、二人は別々の修道院に入る。そして、アベラールが53歳、エロイーズが31歳の時から、二人の間で有名な往復書簡が交わされるのである。

その書簡の中で、私が一番好きなのは、この箇所である。「たとえ全世界に君臨するアウグストゥス皇帝が私を結婚の相手に足るとされ、私にたいして全宇宙を永久に支配させると確約されましても、彼の皇后と呼ばれるよりはあなたの娼婦と呼ばれる方が私にはいとしく、また価値あるように思われます」。

また、一番刺激的だったのは、この箇所である。「私たちが一緒に味わったあの愛の快楽は、私にとってとても甘美であり、私はそれを悔いる気にはなれませんし、また記憶から消し去ることも出来ないのです。どちらの方へ振り向いても、それは常に私の目の前に押しかかり、私を欲望にそそります。眠っている時でも、その幻像は容赦なく私に迫ってまいります。ミサの盛儀に際してさえも、その歓楽の放縦な映像が憐れな私の魂をすっかりとりこにしてしまいます」。

「エロイーズは、パラクレでアベラールの墓を守ること22年、1164年3月16日、(アベラールと)同じく63歳で世を去った」のである。

絶世の美女でなかろうと、アベラールへの愛を貫き通したエロイーズは、私にとって、永遠の憧れの女性である。