榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

『古代への情熱』のシュリーマンは虚像だった・・・【山椒読書論(158)】

【amazon 『古代への情熱』 『シュリーマン』 『甦るトロイア戦争』 カスタマーレビュー 2013年3月16日】 山椒読書論(158)

ハインリヒ・シュリーマンの『古代への情熱――シュリーマン自伝』(ハインリヒ・シュリーマン著、村田数之亮訳、岩波文庫)は、長らく私の愛読書であり、シュリーマンは憧れの偉人であった。ところが、2冊の本が彼に対する私の尊敬の念を粉々に打ち砕いてしまったのである。

シュリーマン――黄金と偽りのトロイ』(デイヴィッド・トレイル著、周藤芳幸・澤田典子・北村陽子訳、青木書店)では、驚くべき数々の事実が明かされている。

「シュリーマンは8歳のときにトロイ戦争の物語に魅了され、いつの日かトロイを発掘することを心に決めた。彼は、子どもの頃の夢を実現するために十分なだけの資金を得るべく、前半生を商売に捧げた。ようやく、40代も半ばになって、彼はパリへ考古学の勉強に出かけた。1868年のトロイ平野への旅の途中、彼はヒッサルリクの丘こそがホメロスのトロイであるという画期的な結論に達した。すぐに彼は、トロイ探求者としてははじめて、自らの鋤によって自説を証明するという実際的な作業にとりかかった。1873年の6月に、彼の説は劇的なかたちで証明された。妻ソフィアの協力のもと、彼は市壁内から『プリアモスの宝』と彼が呼ぶことになる膨大な宝物を発見したのである」。しかし、「近年の研究は、それらがいずれも事実ではないことを証明している」というのだ。

「考古学に対する最初の衝動についての話は、ほぼ確実にシュリーマンのでっちあげである。さまざまな証拠が、子どもの頃のシュリーマンはトロイを発掘する夢など持っていなかったという結論を示している」。それでは、彼の後半生の20年間、彼をホメロスの考古学に没頭させたものは何であったのか。初老に差し掛かって結婚生活が行き詰まり、深刻なアイデンティティ危機に直面していた裕福な一商人が試みた遅ればせの海外長期旅行の途上で、1868年8月、「ヒッサルリクこそトロイ」と主張する考古学者、フランク・カルヴァートにたまたま当地で出会ったことがきっかけとなり、考古学者として世界中から注目を浴びたいという野望を抱いたのであった。彼は、この野望を実現するのに十分な財力と、持続する熱意と、強かなマスコミ操縦術を有していたのである。そして、同時に、度を超えた自己中心癖と虚言癖も併せ持っていたのだ。

古典学者のウィリアム・M・コールダーに至っては、「シュリーマンの自伝は、歴史的な真実を綴ったものではない。それは、彼が自分自身のために創作して事実として受け入れることを望んだ理想像なのである。シュリーマンの虚言癖に、伝記作家たちはうかうかと騙されたのだ」と、手厳しい。

子供時代のエピソードにとどまらず、シュリーマンは「発掘の事実をかなり操作し、『出土品』のなかに購入したり偽造したりした品を混ぜ」るということまで行っていたのである。

「考古学者としてのシュリーマンの経歴を考えるときにもっとも重要なのは、もちろん彼の虚偽とペテンである。シュリーマンの著書にはいたるところに虚偽の記述があり、それらの特徴は、彼の虚言癖が病的な域にまで達していたことを示している」として、それを如実に物語る多くの証拠が示されている。今や、シュリーマンは徹底的な偶像破壊の波に晒されているのだ。

甦るトロイア戦争』(エーベルハルト・ツァンガー著、和泉雅人訳、大修館書店)のシュリーマンに対する追及は、一層徹底している。「かれが47歳になる以前に考古学に対して何らかの関心を抱いていたことがあった、という事実」は、「シュリーマンがやりとりした少なくとも6万通にのぼる膨大な書簡から浮かび上がってこない」。

シュリーマンは、ヒッサルリクがトロイだと言い出したのは自分だと強弁しているが、カルヴァートその人が、「わたしが1868年に初めて(シュリーマンと)会ったとき、ヒッサルリクこそがトロイのあった場所だという話について、かれは何も知らなかった」と、ザ・ガーディアン紙に表明している。

「実際のところ、シュリーマンが本当に発見した考古学の発掘地はただの一つもなかった。これらに加えて、なかでも、自分はサンフランシスコで大火を経験したとか、二人のアメリカ大統領を猛問したことがあるなどと主張しているのだが、どちらも作り話である。最後には自分の経歴まで詐称しているのだが、これはアメリカの市民権を取得するためであったし、また最初の妻との離婚を容易にするためでもあった。・・・学問のために尽くすどころか、かれは結局のところ学問を誤った方向に導いてしまったのである」と、辛辣である。

「シュリーマンのものとされているそのほかの業績も、最近の歴史研究によって真偽が問われている。たとえばかれがマスターしたとされている言語の知識などもそうである」。

「シュリーマンがトロイアと呼んだのは、実はトロイアなどではまったくなかった。そうではなく、ある影響力の大きな都市の小さな構成部分でしかなかったのである。この事実が見逃がされたことによって、エーゲ海の初期古代史研究にとって恐るべき結果がもたらされた。これはバッキンガム宮殿を発掘して、そこから、ロンドンが発見されたという推測をおこなったようなものである」と、皮肉たっぷりだ。

「シュリーマンはのちに発表した著作のなかで、みずからの功績をほぼ首尾一貫した形で自分の個人的経歴に反映させながら描いてみせている。しかし、みずから描いたその経歴のかなりの部分は創作されたものであった。また、その功績の大部分もシュリーマン一人のものではなかった。まずシュリーマンはその伝記のある部分を自らでっちあげ、内容を理想化して表現した」。

ツァンガーは、シュリーマンの行った発掘の誤りを指摘し、その虚栄に満ちた実像を容赦なく暴いているのである。