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春日局が徳川家光の生母だというのは、本当か・・・【山椒読書論(516)】

【amazon 『春日局』 カスタマーレビュー 2017年5月30日】 山椒読書論(516)

子供の頃、母が購読していた婦人雑誌の付録の『春日局』を読んで以来、春日局は私にとって親しい存在となった。

これまで、春日局が徳川家光の生母であるという説に接したことはあるが、歴史を面白おかしく語ろうという俗説であろうと、一顧だにしてこなかった。

ところが、定評あるミネルヴァ日本評伝選の一冊として、『春日局――今日は火宅を遁れぬるかな』(福田千鶴著、ミネルヴァ書房)が刊行され、しかも、「春日局=家光の生母説」を展開していると知り、慌てて手にした次第である。

著者は、「春日局=家光の生母説」を主張する根拠として、次の10項目を挙げている。
①系図上で母に位置づけられた女性が、必ずしも生母とは限らないこと。
②(徳川秀忠の)長男長丸の母は(浅井)江(ごう)ではないので、秀忠に侍妾がいたことが明白であること。
③江が(秀忠の子)全員の母であれば、足掛け11年間で8人を生んだことになる。そのうちの数人は侍妾から生まれた子であり、江はその表向きの母になったと考えた方が武家社会の慣行に基づくこと。
④慶長8年7月末に江が伏見で次女子々を出産した。その間、秀忠は江戸にいて二人は別々の場所にいた。よって、翌年7月に江が家光を出産するのは難しいこと。
⑤家光の出産は江を母とした場合に、明らかに産み月が足りない(10か月に満たなかった)にもかかわらず、家光は「平産」だったこと。
⑥徳川家の嫡子でありながら、家光の幼少時の事績が曖昧であること。
⓻家光誕生時に付けられた小姓が、親の地位が低く、また長男ではないこと。
⑧江が家光の誕生月日を公表しようとしなかったこと。
⑨江の葬儀は、家光ではなく、(江の実子であることが明らかな徳川)忠長が担当したこと。
⑩江は大御所秀忠の妻、現将軍の母であるにもかかわらず、その死後に従一位を贈ることに否定的な公家がいたこと。

「つまり、家光は侍妾から生まれた庶出次男であった。そのため、三男とはいえ、本妻である江から生まれた嫡出子である忠長と比較して、家光の待遇が同等ないし二番手に置かれるようになったと考えれば、その後に繰り広げられる福(春日局)の努力の意味もわかりやすいものとなる。武家社会の相続慣行では、嫡出子の長男による長子単独相続をとるのが理想だが、長男が庶出子で嫡出子の弟がいた場合には、弟に正嫡としての家督相続の優先権が与えられる。つまり、武家社会の相続慣行における嫡庶長幼の序からは、弟であっても嫡出子である忠長にこそ、家督相続の優先権があった」。

著者は、上記の根拠を裏付ける史料などを丁寧に発掘・提示している。これらの史料を総合的に判断すると、私の印象は「春日局=家光の生母説」に大きく傾かざるを得ないのである。