榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

「仰げば尊し」の原曲が、遂に見つかった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(73)】

【amazon 『仰げば尊し』 カスタマーレビュー 2015年5月15日】 情熱的読書人間のないしょ話(73)】

隣家の庭から独特の芳香が薫ってくると思ったら、ミカンの小さな白い花でした。近所の垣根のバラからは甘い香りが漂ってきます。上品な薄いピンクの花は深窓の令嬢の趣です。因みに、本日の歩数は10,823でした。

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閑話休題、私たちの時代には卒業式で必ず歌われた「仰げば尊し」は、私の好きな歌の一つです。「仰げば尊し 我が師の恩 教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ) 思えばいと疾(と)し この年月(としつき) 今こそ別れめ いざさらば」という歌詞ですが、120年以上もこの歌の原曲が見つからず、研究者の間では「小学唱歌集の最大の謎」とされてきたそうです。

2011年に、遂に原曲が発見された経緯が、『仰げば尊し――幻の原曲発見と「小学唱歌集」全軌跡』(櫻井雅人、ヘルマン・ゴチャフスキ、安田寛著、東京堂出版)に感動的に綴られています。

19世紀後半に、米国の音楽教師・作曲家、ヘンリー・サウスウィック・パーキンズが作曲した「Song for the Close of School(卒業の歌)」だということが判明したのです。

「原曲は、当時アメリカではどこでも見られるごく平凡な歌であった。旋律、韻律、リズム、音楽形式に関してはこの歌は決して特別の歌ではなく、大きな(歌の系統の)家族から出てきた一つのありふれた歌にすぎない。どれもこれもよく似た歌の集団の一員である。『仰げば尊し』の原曲が本国アメリカで記憶から完全に忘れ去られた原因をここに見ることができる。そんな歌が日本に入ってくると今日まで長く愛唱され、人々の記憶にしっかり定着した歌となった。・・・国民の共同体意識、連帯意識を形成してきた歌であった。旋律にもリズムにも全く独創性のない元のアメリカの歌が、『仰げば尊し、我が師の恩、教えの庭にもはや幾とせ』という詞と結びついたとき、日本でこんなに長く愛されるようになったのはなぜなのか。・・・原曲のSong for the Close of Schoolと唱歌『仰げば尊し』とは別の歌であるということが解決のヒントになる。歌が個々人に記憶されるプロセスをかえりみると、音符と言葉から構成されている客観的な要素に欠落(正確に覚えていない箇所)が生じる。しかしそれと同時に、記憶のプロセスで、例えば授業で習った時の教師の声や友だちの顔や教室の匂い、卒業式で歌った時の雰囲気、いっしょに歌った人々との思い出、その時の個人的な気持ちや感情などもすべて一緒に記憶され、その記憶が『仰げば尊し』の歌と一体化するのである」。私の場合も、まさに、このとおりです。