榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

ガリレオは「それでも地球は動いている」と呟かなかった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(231)】

【amazon 『ガリレオ裁判』 カスタマーレビュー 2015年11月20日】 情熱的読書人間のないしょ話(231)

散策の途中で立ち寄った食事処の庭は、狭いのに和風の雰囲気を漂わせていました。私はこういう趣のある狭い庭に惹かれます。穫れたての地元野菜販売センターで、私の好きなピリッと辛いワサビナを見つけることができました。サラダに最適です。

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閑話休題、ガリレオ・ガリレイは、1633年の宗教裁判で有罪判決を申し渡された直後に、「それでも地球は動いている」と呟いた事実はなかったと主張する本が出現しました。『ガリレオ裁判――400年後の真実』(田中一郎著、岩波新書)が、それです。

さらに、当時のローマ教会はガリレオを無理やり有罪に落とし込み、重罰を科したのではないと記しているではありませんか。それでは、地動説を唱え、宗教裁判で有罪を宣告された、頑迷な宗教界と闘った勇気ある科学者という、私たちが描いてきたガリレオのイメージは間違いだったのでしょうか。

21世紀に入り明るみに出されたヴァチカン秘密文書庫の裁判記録に基づき、丁寧に検証されているだけに、著者の見解は強い説得力を有しています。

「(ガリレオ事件調査委員会の)調査の過程で出版されたガリレオ裁判資料集は、約400年の時をへだてて、これまで知られていなかった文書を読むことを可能にしてくれた。ヴァチカン秘密文書庫だけでなく、教理聖省やヴァチカン図書館にあって、これまで公表されていなかった文書も残されていた。この資料集によって、それらを読むことができるようになったのである。とくに資料集で明らかになった裁判関係者の手紙や教理聖省にあった異端審問所の議事録には、これまでのガリレオ裁判についての理解に修正を迫るものがあり、この裁判についてより信頼できるシナリオを再構成することを可能にしてくれる」。

当時の宗教界は、地動説をどのように見ていたのでしょうか。「特別な存在として神の姿に似せて創られ、宇宙の中心にあって天上の神に絶えず見守られ、その信仰のゆえに昇天することができるが、逆に世界の底にある地獄に落ちることもありうる。この不安に満ちた人間という危うげな存在は、信仰によってのみ平安を得ることができる。この考えは、天動説が示す地球中心の宇宙において説得力をもっている。地動説は、何世紀にもわたって人びとに信仰されてきたキリスト教の根幹、人びとが拠り所としてきたものを台なしにしようとしていると考えられたのである」。

「ローマ教会は法を曲げてまで理不尽にガリレオを弾圧したというシナリオを信じてしまうと、あるいはイエズス会士を中心とする宗教人が『聖書』を振りかざしてガリレオを罪に陥れたと考えると、法廷外での駆け引きや陰謀を伝えるものが選び取られがちになる。ガリレオの波乱に富んだ生涯を描くのに、格好の題材を提供してくれる。これまでにガリレオ裁判を論じた出版物のいくつかは、そうした傾向があった。暗躍した人びとがいなかったとか、飛び交ったうわさが真実を伝えていないと主張したいのではない。そのような法廷外での出来事から目を転じて、検邪聖省の公的文書を中心に読み進めていくと、語り継がれてきて、われわれの先入観となっている物語とは別のシナリオが見えてくる」。著者は、冷静かつ公平に資料を検討すれば、ガリレオ裁判は通常の宗教裁判と同じように進められたという結論に達するというのです。そこに、法を曲げてとか、陰謀によってとかいったことが介入した形跡は見られないというのです。

「もちろん結果から見れば、まちがっていたローマ教会が正しい主張をしていたガリレオを理不尽にも弾圧し、科学の発展を阻んだという事実は否定しがたい。ただし、これら2つの陣営は、いずれもキリスト教を信仰するということでは一致していた。一方は、日は東から昇り、西に沈むといった素朴な自然理解の上に築きあげられていたキリスト教という宗教を守ろうとし、他方のガリレオは、科学が日々に明らかにしていく新しい自然理解を取り込むことなくしては、やがてはキリスト教に危機が訪れるだろうと考えていた。残念ながら、ガリレオの努力にもかかわらず、当時の科学は保守的な人びと、言い換えれば、日常経験の世界から抜け出せなかった人びとを説得しうるだけの武器を手にしていなかったのである」。

「それでも地球は動いている」という言葉は、なぜ語り伝えられてきたのでしょうか。「(この言葉の)逸話を伝えてくれる2冊の本が、どちらも18世紀半ばに出版されたのは偶然ではないだろう。すでにニュートンの万有引力の法則によって太陽のまわりの地中を含む惑星の運動が説明され、誰の目にも地動説が揺るぎない真実であると映っていた。このような科学の発展を背景として、ガリレオがキリスト教と闘った英雄とみなされるようになっていったのである」。「ガリレオが『それでも地球は動いている』とつぶやいたという話は、18世紀のヨーロッパの人びとの願望を反映しており、蒙昧なカトリック教会に抗して真実を主張しつづけ、果敢に闘った英雄的科学者にふさわしいエピソードとして広まったのである」。十分納得のいく論証です。