榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

高峰秀子が愛する夫と楽しんだヨーロッパ旅行の記録・・・【情熱的読書人間のないしょ話(475)】

【amazon 『旅日記 ヨーロッパ二人三脚』 カスタマーレビュー 2016年8月6日】 情熱的読書人間のないしょ話(475)

数年前に講演会で高峰秀子の生き方に触れた時、100名ほどの若い聴衆がきょとんとしているので、「女優の高峰秀子を知っている人は?」と挙手を求めたところ、手を挙げたのが世話役の年配者数人だけだったので驚いたことがあります。

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私の一番好きな日本の女優は高峰秀子ですが、その美しさだけでなく、その毅然とした生き方が素晴らしいのです。彼女のファンとしては、高峰の死後、遺品の中から発見された『旅日記 ヨーロッパ二人三極』(高峰秀子著、ちくま文庫)を読まずに済ますわけにはいきません。

1958年8月、高峰が、ヴェネツィア国際映画祭出席後、夫の松山善三と二人で翌年の3月まで、フランス、イタリア、スペイン、ドイツと、7カ月に亘ってヨーロッパを旅した時、手帳に書き付けたものです。半年以上も帰国しないというのは、当時、売れっ子女優だった高峰にとって映画会社との調整等、大変だったと思われます。それでも、彼女は、女優としての栄光より、愛する夫と過ごす時間を選択したのです。解説に、「これは、大女優であることより普通の生活を望んだ一人の女性が、生まれて初めて手にした安寧の記録だ」と記されています。

1958年9月8日、パリにて。「今日からは全くの自費で、安いホテルをたのんでおいたので、一晩一万円から急に三千円になったわびしさは何ともいえない。坂道からころげおちたかんじである。バスにはちょろちょろ虫がいて天井うらのようなせまい部やである。ギジギシきしむベッドに先ずは体をのばしてくたくたになった体を休める」。

9月12日。「岸恵子さんが来る。彼女、やせて干物の如くだがけっこうけなげにやっているらしい。この月曜日日本へ三ヶ月帰ると、嬉しそうだった」。

9月13日。「ホテルの側には夕方から夜の花がひらく。男がよっては又散ってゆき、十二時すぎれば女もあきらめて、どこかへ去ってゆく」。

10月8日、ボンにて。「今日も良いお天気。朝食をホテルで喰べ、ひるを喰べに外へ出る。全く道の判らない所で、地理においては犬もおよばぬハナをもつ善三もさすがに閉口」。

10月23日、パリにて。「歩いてたらとつぜんうんこをしたくなってくつやへとびこみ、スリッパを買って便所を借りる。高い便所代についた。帰ってスリッパみたらあまり気にいらぬ。ああハラが立つ」。

10月24日。「こうしてパリでぼんやりしてる事の何とすばらしい事か。帰りたくない」。

11月3日、マドリードにて。「(フラメンコは)女も男も実にエネルギッシュなおどりで、汗まみれになりかみをふりみだして踊る。男のは闘牛の形をとり入れたものだそうで、女もすその長い服でおどる時は足さばきやキマリの見えが実に日本風である。しかし、日本の地唄まいのむつかしさにはとてもおよばないものである。矢張り、ある程度肉もつき年もとった女の方がかんじを出すものである。終ったのは二時。善三もすっかり気に入った風であった」。

11月6日、マドリードからパリへ向かう汽車で。「フランスの方が汽車もよく、ゆれないのでぐっすりねた。せんめんきにオシッコ」。

11月7日、パリにて。「公園でうんちしたくなって二十フランふんぱつした」。

11月9日。「善三が初めてフランス語で電話をかけ、通じたと得意になった」。

11月15日。「栗をかじり乍ら散歩するのは仲々オツである」。

11月16日。「こんな長い暗い冬を持つパリは不幸であると思う。太陽の好きな善三はしきりになげく」。

12月5日、デュッセルドルフにて。「毎日お金を使いすぎるから、明日からケンヤクをするつもり。町はクリスマスも近づいてたいへんな人出。かきわけかきわけ歩くかんじである。秀子、酒と煙草がすぎるので困る」。

1959年1月3日、シャルトルにて。「だんろの火にあたたまり乍らシャトーブリアン(=ステーキ)を喰べる。たのしい旅行である。古い家は名の通り古そうな家である。おそらく五十年ももっと前からの家だろう。一ぽんの線の上を人間が真すぐに生き、まっすぐに今まで来たかんじである。昔からのその線がある故、人はほこりを持っていられるのだろう。地に根を下ろした人間の生き方である。浮気に宙にういているような日本の生活がふっと思い出される」。高峰の生き方に通じるものがあります。

1月11日、パリにて。「夜になると又、雪がふってきて実に美しい。ホテルまで雪の中を傘さして帰った」。

1月14日。「フラフープ、デパートで七百円、外では三〇〇円でした。善三全くうまくならずがっかり」。

夫への温かい眼差しが感じられ、高峰の飾らぬ人間味、巧まざるユーモアが味わえる一冊です。