榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

戦後、元ナチスたちがアメリカでのうのうと暮らせたのはなぜか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(490)】

【amazon 『ナチスの楽園』 カスタマーレビュー 2016年8月18日】 情熱的読書人間のないしょ話(490)

昨日、ちょっと見かけたものの写真を撮れなかったエンマコオロギのことが気になり、近くの畑を再度訪れました。地面の巣穴から出てくるのを待つこと20分、漸くカメラに収めることができました。緑色のバッタの幼虫、白っぽいバッタの幼虫、小さな菱形のヒシバッタが飛び回っています。因みに、本日の歩数は10,033でした。

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閑話休題、『ナチスの楽園――アメリカではなぜ元SS将校が大手を振って歩いているのか』(エリック・リヒトブラウ著、徳川家広訳、新潮社)は、元ナチスたちが戦後、アメリカでのうのうと暮らせたのはなぜか――という謎を追った息詰まるような記録です。

「第二次大戦のヨーロッパ戦線が終結を迎えた際に、ナチスの残党の多くはすでにドイツとその占領地域から脱出していた」。

「ヒトラーの手先となっておぞましい犯罪を重ねていた連中が何千人も、何者にも邪魔されることなく、アメリカ合衆国へと向かっていたのだ。元ナチスたちは、正規のビザを発給され、渡航先で新たな生活を始める予定でいた」。

「アメリカの入国管理制度の裏をかいて、忍び込むようにしてアメリカ入国を果たした元ナチスは、数千人にも及んだであろうか。だが国防総省やCIAなどの情報機関の高官たちの手引きを得て入国した元ナチスが、さらに数百人いた。こちらは、ナチスとの繋がりがあったからこそ、アメリカがソ連という脅威と対決するうえで役に立つと信じられていた」。

「何千人もの元ナチスは、ワルシャワやトラヴニキ、アウシュヴィッツのような恐怖にまみれた土地を自分たちの履歴からきれいに消し去ることで、自分たちの身分を戦時難民に作り変え、戦後のアメリカ合衆国に歓迎され、ついにはアメリカ人になりおおせたのである」。

「ドイツの敗北とともに、元ナチスたちのアメリカへの逃亡は加速するばかりだった。逃亡者の総数は、永久にわからないであろう。ただ、ナチス党とはっきりした結びつきのある戦後のアメリカ移民だけでも、1万人以上だったと推計されている。その中には強制収容所の看守もいればSS(ナチス親衛隊)の将校もおり、第三帝国の政策決定の頂点近くにいた者もいれば、ナチス・ドイツの傀儡国家の政府首班をはじめとするナチスの協力者たちもいた」。

ドイツ敗戦から34年後――「アメリカ政府の新たなナチス狩りの努力が直面する最大級の障碍は、外国ではなしに司法省の向かい側にあるFBI本部、J・エドガー・フーバー記念ビルの中にあった。多くのナチス協力容疑者を保護していたフーバー長官は、すでに1972年に世を去っていた。だが司法省に(元ナチスを追及する)特別捜査室が誕生した1979年になっても、ナチス狩りに対するFBIの反発は、まだまだ根強かった。実に、元ナチス容疑者を起訴する段になると、FBIがいったい誰の味方なのかがわからなくなることさえあったのだ」。

1985年に至り、「(元ナチスの)トム・スーブゾコフの強運も、とうとう尽きる時が来た。・・・スーブゾコフは、生き残りの達人だった。40年にわたって、彼は様々な脅威に直面したが、常に身を守る道を発見してきた。CIAとFBIが守ってくれたこともあったし、ニュージャージー州の政界における友人たちが守ってくれたこともあった。だがパイプ爆弾を作る技術を持った(ナチスに対する)復讐鬼から彼を守ることの出来る者は存在しなかった」。61歳のスーブゾコフは自宅を爆破されて死亡します。

しかし、いったいどれほどの元ナチスが逃げ切ったことでしょう。いったいどれくらいの人数の元ナチスがアメリカで誰にも発見されないまま天寿を全うしたことでしょう。

2010年にアメリカ政府が作成した部外秘の戦争犯罪人追跡の公式記録は、アメリカ合衆国が元ナチスにとって避難所となってしまったことを認めています。「CIAは何年にもわたって、ソ連という共通の敵と戦うために、元ナチスの戦争犯罪人たちと『悪魔との取引』を行ってきたのだ」。

痛ましいことに、ナチスの被害者たちは、アメリカの身勝手な振る舞いの被害者でもあったのです。