榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

劇的でない、ありふれた人生を送る人々の心に共感を呼び起こす小説・・・【情熱的読書人間のないしょ話(820)】

【amazon 『私の名前はルーシー・バートン』 カスタマーレビュー 2017年7月22日】 情熱的読書人間のないしょ話(820)

クロアゲハの雄と雌をカメラに収めることができました。翅の橙色の丸い模様が少ないのが雄、多いのが雌です。キアゲハが飛び回っています。ツマグロヒョウモンの雄の写真が撮れました。シオカラトンボの雌は、体が黄色いのでムギワラトンボとも呼ばれます。因みに、本日の歩数は10,029でした。

閑話休題、この小説がなぜ米国でベストセラーになっているのかと考えながら読み終わったのが、『私の名前はルーシー・バートン』(エリザベス・ストラウト著、小川高義訳、早川書房)です。

1980年代半ば、「私」ことルーシー・バートンは、ニューヨークの病院で、思いがけず9週間に及ぶ入院生活を送ることになります。夫や小さな2人の娘はなかなか病院に来られません。そこに、思いがけず、イリノイ州の田舎から疎遠であった母が見舞いにやって来ます。5日間、泊まり込んだ母とのとりとめのない会話から、これまでの人生で出会った人々の姿が浮かび上がってきます。

貧しい家に育ったルーシーは、特待生待遇で大学に進学し、作家の道を歩んでいます。そんな彼女は両親、兄、姉たちと親しい関係を築けていないのです。

「姉のヴィッキーも私も、うちはおかしいとわかっていた。遊び場にいる子供たちが『あんたら、くさい』と言って、鼻をつまんで走り去った。姉は2年生の担任だった先生から(クラス全員の前で)、貧乏だからといって耳のうしろに垢を溜めてよいわけではない――いくら貧乏でも石鹸くらい買えないことはなかろう、と言われたことがある。父は農機の修理工だが、雇い主と衝突しては辞めされられ、また雇われるという繰り返しだった。母は縫い物の内職を引き受けたので、手書きの看板が、だいぶ離れた街道からの分岐点に出ていた」。

「気にする性分だったのは私たちだ。母も私もそうだった。この世には一つ確実な判断基準がある。どうすれば人より劣っていると思わなくてすむか、ということ」。

「人間とは優越感を欲しがるものだということに私は興味を覚える。ほかの人に対して、ほかのグループに対して、どうにかして自己の優位を感じていようとする。どこの人間も同じだ。いつでもそうなる。その習性にどんな名前をつけるにせよ、人間の成り立ちとしては最下等の部分だと思う。踏みつけにする誰かをさがさないと気がすまないらしい」。

「『では、小説家としてのお仕事は、どういうものでしょうか』。すると彼女は、作家の仕事は人間の状況をレポートすること、私たちが何であって、何を考え、何をするのか伝えること、と応じた。・・・この夜ばかりは、ずっと住み暮らしたニューヨークという街を好きになれなかった。どうしてなのか、よくわからなかった。わかるような気もしたが、わかったとは思えなかった。この物語を書き留めておこうと思い立ったのも、その夜のことだった。少なくとも部分的には。この夜に始まった」。

「あの日、病院での母は、私が兄や姉に似ていない、と言った。『あんたの生き方なんだね。突っ走って・・・やり遂げた』。おそらく母は、私が情を捨てきったと言いたかったのかもしれない。そうだったのかもしれないが、どうだったのかわからない」。

人は、誰もが劇的な人生を送るわけではありません。ありふれた人生を送る人々の心に共感を呼び起こしたことが、この作品をベストセラーに押し上げたのでしょう。