37歳、独身、女性、大型書店の主任のエッセイ集に嵌まりそうな予感・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1140)】
東京・西麻布で専門医と意見交換した後、小雨振る渋谷で開かれた懇親会に参加しました。いろいろと気づきがありました。因みに、本日の歩数は11,047でした。
閑話休題、『探してるものは そう遠くはないのかもしれない』(新井見枝香著、秀和システム)を読んで、椎名誠の初期のエッセイ集を思い浮かべました。
著者は37歳、独身の女性で、大型書店の主任です。
「小説家は、書いている間はなるべく読まない、という話を聞く。読むとしても、海外の小説やマンガなど、自分に近いジャンルや中毒性のある作品は避けるようだ。小説家ではない私も、書くものが直前のことにかなり影響されるので、気をつけなければならない。ついさっきも、絶望的なディストピア小説を読んだ後、ゾッとするほど暗いエッセイを綴っていて、慌てて全文消去した。うっかり保存したら、USBが何かひどい運命に見舞われそうだった。小説のテーマは、人間の本当について。『これがお前ら人間というものの本質だよウラウラよく見とけ!』と、ドロドロに腐った腹腔に顔面を突っ込まれる感じだ。わぁ見たくない知りたくない。影響されやすい人間は、あっという間にディストピアワールドに取り込まれるだろう。あぁ、人間なんてクソだ。この世界に希望なんてない。わかってた。そんなこと、わかってたさ。また絶望感に心が支配されそうになったので、ハンディブレンダーできなこバナナミルクを作り、一服した。健やかなる甘みよ、豊富な繊維質よ。我が心と腸を救っておくれ」。
「エッセイほど本当のことが書いてある、書くことを許される文章はない。あくまでも、その人にとっての、その時の『本当』だが、これはどんなに仲良くしていても、血が繋がっていても、なかなか知ることはできない本当だ。どれほど言葉をやり取りしても、傍で長い時間を過ごしても、その人が書いたエッセイを読む以上に、その人の本当に触れることは難しいような気がする。・・・言葉通りでなくても、その人がどんな人で、何を考え、何に本人ですら気づいていないのか、エッセイを読む人は触れることができるのだ。私は読者としてそれに気づいた時、エッセイが途端に面白くなった。小説は嘘だ。小説家という仕事は、大ボラを吹いてお金がもらえる特殊な芸だ。私はそれを愛しているし、人生に絶対必要なイリュージョンだと思っている。しかしエッセイで大ボラを吹いたら、ただの詐欺師だ」。
「一人暮らしでもそれは変わらず、テレビは買っていない。基本的に人間が好きではないのだ。ようやく部屋でひとりになれたというのに、どうして特別好きでもない人の姿を見たり、声を聞いたりしなければならないのか。仕事を終えて深夜に帰宅すると、静まり返った部屋で小説を読んだ。たいてい小説は、人間のことを書いている。嫌いな人間も、好きだった。それはとても愛しく、満ち足りた時間なのだった」。
書店員の仕事に関することだけでなく、身の周りのあらゆることをエッセイの材料として活用しているミエカ・ワールドは、何ともおかしくて、嵌まりそうな予感がしています。