榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

女子学生を強姦したとされる青山学院春木教授事件は冤罪だった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1132)】

【amazon 『老いぼれ記者魂』 カスタマーレビュー 2018年5月29日】 情熱的読書人間のないしょ話(1132)

千葉・印西を巡る散歩会では、気持ちのいい仲間だけでなく、さまざまな動物にも出会うことができました。サシバの雄が電柱の天辺に舞い降りました。田んぼと大木にチュウサギがいます。10cmほどのトビズムカデが目の前を足早に横切っていきました。森の中でコクワガタの雌が見つかりました。オオヒラタシデムシが枯れ葉の下に潜り込もうとしています。

閑話休題、『老いぼれ記者魂――青山学院春木教授事件四十五年目の結末』(早瀬圭一著、幻戯書房)を読み終わって、いろいろなことを考えさせられました。

第1は、無実の人間の人生を滅茶苦茶にしてしまう冤罪が、なぜ起こったのかということ。

事件は、青山学院大学法学部教授・春木猛(63歳)が教え子の同大文学部教育学科4年生・A.T子(24歳)への3度に亘る強制猥褻・強姦致傷の容疑で逮捕されたものです。「事件は最高裁まで争われ、昭和53(1978)年7月12日に春木元教授の懲役3年の実刑が確定し、一応、決着していた。だが、都心の有名大学を舞台にしたこの事件の裏には、被害者とされる女子学生の不可解な言動や教授間の派閥争い、のちに『地上げの帝王』と呼ばれた不動産業者などが蠢いており、複雑怪奇そのものであった」。

「早坂(太吉)経営の赤坂のクラブは、小林(孝輔)を中心とする法学部教授らの溜まり場の一つになっていた。・・・当時、法学部には派閥のようなものが3つほどあったが、春木はどのグループにも属さず、いつも単独で行動していた。もともと酒が強くない春木は、あくまでもアメリカ仕込みの個人主義を貫いた。不動産業界を渡り歩いてきた早坂から見れば、大学のセンセイはまるで世間知らずの子どものように映ったことだろう。・・・小林らの話題には春木の名が何度も出ていた。ほとんどが悪口だった。彼らは春木の傲慢な態度や自信に充ちた話しぶりにうんざりしていた。・・・赤坂のクラブでの小林らの会話は当然、早坂の耳にも入っただろう」。

著者が粘り強く調査を重ねた結果、到達した冤罪事件の「真相」は、このように総括されています。「T子は(青山学院大に新設される)国際部に職員ないし春木の秘書として採用される『確約』を得たかった。この推測に従えば、2月11日と13日の両日で3度も『暴行』を受けるためにT子が春木を訪ねたことや、14日に『親愛なる』などと書き添えたバレンタインのチョコレートを届けたことが、なるほどと腑に落ちる。名も実績もある春木が、なぜT子の打算に気づかなかったのか。たった3回の逢瀬でのぼせ上がり、分別もなくなっていたのか、春木はT子を『ずっと傍に置きたかった』などと言っている。しかし、確かに打算もあったろうが、互いに好意がなければ、1日置いただけの計3回の逢瀬は、常識的には成立しないとも思える。そんな私の推測に、否定も肯定もせず、黙って耳を傾けていた(当時の青山学院大の最高実力者・大木金次郎院長の側近だった)須々木(斐子)が口を開いた。『関係者のそれぞれが、それぞれの思惑で動いた結果でしょう。T子さんの目的は、国際部の職員と言うより、その先の留学にあったと思います。現在と違って当時は簡単に留学などできませんでした。いきなり海外へ行って、大学の教員や研究職の試験に合格することなど、ほとんど不可能です。まず国内の大学院に行って、修士課程を経てから、教授の推薦で留学するのが普通です。人事に権限があれば、それを餌にする人はどんな組織にもいます。留学について言えば、とくに春木さんはルートをもっていました。その筋の実力者でした』。」

「春木は『国際部』を餌にT子を誘った。T子はその話に飛びついた。『青山学院大学五十年史』を綿密にたどると、この『筋』はいっそう現実味を帯びてくる」。

「早坂太吉も小林孝輔ら法学部の教授たちも、T子の春木に対する積極的な接近は想定外だったに違いない。いわゆるセクハラだけで充分、騒ぎにできた。小林らは春木にダメージを与えるだけでよかったし、早坂は金を強請ることだけを目論んでいた。小林らの春木追い落としはともかく、ではなぜT子側は告訴に踏み切ったのか、という疑問は残る。小林らは告訴までするとは考えていなかったはずだ。告訴で事件が表沙汰にならなければ、T子の夢は叶ったのではないか。早坂もまとまった額の金を得ることができたのではないか。まだ38歳という血気盛んな年頃だった早坂が、『愛人』を奪われたことに激怒し、見境を失くして告訴に踏み切っただけ、とも考えられる。一方、須々木はこの疑問について、脛に傷をもつ早坂が、逆に『恐喝罪』で春木側に訴えられることを怖れ、先手を打ったという見方をした。早坂は当時、不動産売買でいろいろと危ない橋を渡っており、脛に傷の一つや二つはあったろう。また、春木宅の近辺の地図まで入手し、不動産を値踏みするほどだから、損得勘定はできていたはずだと。その早坂が(最上恒産の顧問弁護士の)原則雄弁護士と相談し、回答期限間際のタイミングで告訴に踏み切ったと須々木は見たのである。須々木の見解のほうが真相に近いのかもしれない」。

社会派作家の石川達三も、春木が収監された時点で、これは冤罪だと喝破していました。

第2は、この被害者とされる女性が、なぜ強姦致傷の被害者を演じるに至ったのかということ。

「『被害者』の女子学生A.T子は事件当時、24歳だった、歴史ある名門校の東京都立富士高校を卒業。二浪して青山学院大学と日本女子大学を受験、ともに合格している。『二浪』については経済的な理由だったと父親A.Tが証言している。なお、T子の成績は文学部教育学科のなかでも優秀だった」。

「(T子の)父親は早坂太吉と出会い、ともに不動産業を営むことになった。60代にさしかかった父親が会長、30代後半の早坂が社長だったが、実権は早坂が握っていた。大学3年生で23歳のときT子は、早坂の娘の家庭教師となった。そして早坂と『特別な関係』をもつに至った。早坂には、平成13(2001)年に脳梗塞で倒れるまで、金と女をめぐるスキャンダルが絶えなかったが、T子は最初の愛人ではなかったか。とはいえ、やはりその子どもの家庭教師を頼まれた中尾栄一代議士とも『深い関係』が囁かれており、T子のほうにも思惑があったと考えざるを得ない」。

「春木の『スピーチ・クリニック』を受講した文学部教育学科のT子は当初、純粋に英会話の上達を目指すだけの女子学生だった。春木に近づいたことで、T子の人生は大きく変わった。春木の人生も激変した」。

「T子は新設の国際部に職員として採用されることを本気で願ったに違いない。こう考えればすべてが腑に落ちる。実際、T子は渋谷署での最初の供述で、そのような心境を打ち明けていた。T子がバレンタインデーのチョコレートを贈り、心身ともに春木に急接近したことを知り、早坂は見境なく激怒し、二人の関係を両親に告白させた。翌15日はT子に代わり、早坂自らが春木のところへ乗り込んでいった。そして、T子の願いは粉砕された」。

第3は、元毎日新聞社会部記者が、45年も前の事件の真相に迫ろうと情熱を燃やしたのはなぜかということ。

真実を知りたい、そして、知り得た真実を社会に向けて明らかにすべきという記者魂の結晶が本書なのです。