榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

庶民の視点から描かれた文化大革命の凄惨な実態・・・【情熱的読書人間のないしょ話(559)】

【amazon 『兄弟(上 文革篇)』 カスタマーレビュー 2016年10月11日】 情熱的読書人間のないしょ話(559)

我が家のキッチンの磨りガラスがニホンヤモリの定位置なのに、なぜか、今晩は、浴室の磨りガラスに現れました。

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閑話休題、小説『兄弟(上 文革篇』(余華著、泉京鹿訳、文春文庫。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)を読む価値は、3つに集約することができます。第1は、文化大革命が中国の庶民に与えた影響が生々しく描かれていること。第2は、恋愛を含め、当時の庶民の感情、思考、行動が鋭く剔出されていること。第3は、至る所にユーモアが鏤められているので、背景が暗い時代だというのに、思わず噴き出してしまうこと――です。

上巻には、文革篇と、開放経済篇の一部が収められています。下巻の開放経済篇では、主人公とその義兄が、文革時代の後に訪れた欲望の開放経済時代をいかに激しく生き抜いていったかが記されています。

ユーモアの一例を挙げてみましょう。主人公の李光頭は、14歳の時、公衆便所で5人の女の尻を覗いているところを捕まって大変な目に遭わされます。ところが、5人のうちの1人が地元・劉鎮一の美人、17歳の林紅だったことから、町中の男たちから質問攻めにされます。「李光頭がどんなふうに林紅という娘の尻、あの太っても痩せてもいないまん丸い尻を覗いたかを説明しはじめると、5人の警官はまるで怪談を聞いているかのように、顔中に緊張をみなぎらせた。丸い尻の娘は、我らが劉鎮の生んだ美人であった。派出所の5人の警官は、日頃から大通りで彼女の美しい尻をズボンの上からじろじろと眺めていた。この街でズボン越しに彼女の尻を見た男は多いが、ズボンを脱いだナマの尻を見たのは、李光頭だけである。李光頭を捕らえた5人の警官は、このチャンスを逃すものかとばかりに、矢継ぎ早に問い詰めた。林紅のハリのある皮膚と微かに飛び出た尾てい骨について李光頭が話しはじめると、5人の警官の10個の目が、にわかに電気の通った電球のように、きらきらと光り輝いた。李光頭がそれ以上は何も見なかったと言うと、10個の目はたちまち電気が切れたように暗くなった。顔中に失望と不満の色を浮かべ、机を叩きながら怒鳴り声を上げた。『正直に白状すれば大目に見てやる。よく思い出せ。それから何を見た?』。縮み上がった李光頭は、いかに自分がもっと体を下に向かって伸ばし、いかに林紅の陰毛と陰毛が生えているところを見ようとしたかを説明した。李光頭がびびって声が小さくなると、彼らは息を止めて必死で聞きとろうとした」。

文化大革命の惨たらしい実態が次々と暴かれていきます。「我らが劉鎮の批判闘争大会は次第に増えてゆき、中学校の運動場は夜明けから日が暮れるまでお祭りのようだった。(李光頭の継父で、中学教師の)宋凡平は(地主階級というだけで)毎日朝早くから木のプラカードを手に出かけてゆき、中学校の門の前まで来るとそれを首からかけ、うなだれて校門の前に立った。批判闘争大会を行う連中が校内に入ってゆくとようやくプラカードを外し、箒を手に中学校の前の道路を掃きはじめる。批判闘争大会が終了する頃になると校門の前に戻り、プラカードを首からさげ、うなだれて立つ。中から潮のようにあふれ出てきた人々は、彼を蹴りつけたり罵ったりつばを吐きかけたりしたが、彼はふらつきながらもうんともすんとも言わなかった。同じことが繰り返されたあと、日が暮れて運動場の中に誰もいなくなったのを確かめてから、宋凡平はようやくプラカードと箒を手に家に帰るのだった」。

偉大な指導者・毛沢東を軽んじる発言があったとして、宋凡平は監獄代わりの倉庫に拘禁されてしまいます。そして、そこを抜け出した彼は、紅い腕章を付けた連中11人に捕まり、殴られ続けて、虐殺されてしまうのです。

李光頭の友達・孫偉の父の場合は、こうです。「孫偉の父親は、頭に紙でつくった三角帽子をかぶり、かつて宋凡平がそうであったように、箒を持って大通りを掃いていた。午前中も、午後も掃いていた。大通りでは時々彼を叱りつける人もいた。『おい、罪状を全部吐いたのか』。彼は唯々諾々として言った。『全部申し上げました』。『考えてみろ。まだ吐いてないことはないか』。子供たちが怒鳴りつけるときもあった。『拳をふりあげて<自分を打倒します>と叫んでみろ』。彼は拳を振り上げて叫んだ。『自分を打倒します!』」。

「倉庫の中であらゆる虐待を受け続けた孫偉の父親のひどい叫び声は、夜な夜な絶えることがなかった。両脚はだんだん腫れ上がり、毎日血膿が流れ、悪臭を放った。毎日排便のときには死にたくなるほど苦しんだ。こすれば激痛が走るため、彼は紙で拭こうとしなかった。(タバコを使った拷問で)焼けこげた肛門に糞がたまり、肛門が爛れはじめた。立っていても痛み、座っていても痛み、横になっていても痛み、動いている時も痛み、動いていないときも傷んだ」。

「あるとき、どうしてもこらえきれなくなって、ある紅い腕章に土下座して泣きついた。もし妻が様子を見にきたら、ひと目でいいから入り口で会わせてはくれないかと。妻がもはや狂ってしまい、裸で大通りをうろついているということを、彼はこのときにようやく知った。その紅い腕章の人物はへらへらと笑いながら、他の紅い腕章を呼んできた。そして、彼の妻がとっくの昔に狂ってしまっていることを告げた。彼の前に立って笑いさざめきながら、彼の妻の体についてあれこれ言いあった。乳はでかいけど、垂れているのが惜しいな。陰毛は多いけど、草がいっぱいくっついちまって汚すぎだ・・・」。気力だけで何とか持ち応えてきた孫偉の父親は、遂に自殺を決意します。それも、自分の頭に大きな鉄釘を煉瓦で打ち込むという凄惨な方法で命を絶ったのです。

管見ですが、文化大革命が庶民の視点から描かれた例を他に知りません。この意味で、本書は格別に貴重なのです。