榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

生後11カ月の男児失踪事件の隠された真実――本格推理小説の最高峰・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1239)】

【amazon 『湖畔荘』 カスタマーレビュー 2018年9月16日】 情熱的読書人間のないしょ話(1239)

シコンノボタンが紫色の花を咲かせています。コムラサキが紫色の実をぎっしりと付けています。パイナップルが実っています。東京・杉並区立松渓中学の同期会に39人が集い、思い出話に花が咲きました。因みに、本日の歩数は10,738でした。

閑話休題、久しぶりに、上巻の最初から下巻の最後のページに至るまで一気に読み切ってしまったほど、吸引力の強い本格推理小説に遭遇しました。

湖畔荘』(ケイト・モートン著、青木純子訳、東京創元社、上・下)のどこにそんなに惹きつけられたのか、それは3つに整理することができます。

第1は、推理小説の多くが次から次へと謎をばら蒔き、最後の最後に至って一挙に謎の解明がなされるのに対し、本作品では、精緻で複雑なパズルのピースが、物語の一里塚毎に惜し気もなく読者に手渡されるという基本ルールが貫かれていることです。すなわち、著者は一定範囲ですが、手の内を次々に明かしてくれるのです。

第2は、謎の失踪事件が発生した1933年のコーンウォール、70年間も解かれていない事件の謎を明らかにしたいとのめり込んでいく女性刑事が登場する2003年のコーンウォール、2003年のロンドン、事件から遡ること22年の1911年のロンドン、1914年のコーンウォールといった具合に、時が行きつ戻りつするだけでなく、登場する人物も入れ替わり、その経験したことが複数の視点から描かれるという場面転換、視点転換の妙が冴え渡っていることです。

第3は、謎解きの面白さは言うまでもないが、それだけに止まらず、戦争が人に与える圧倒的な影響、愛が人に思いがけない行動を取らせる起爆剤になり得ること――について深く考えさせる奥深さが作品に備わっていることです。

「戦争が不当にも人の心を抜け殻にし、人生という織物を引き裂き、それまで紡いできた夢をもはや修復不能な糸くずに変えてしまったのだ」。

「(言葉は)真実に満ちあふれていた。こんなふうに単純で気楽で心弾む愛もあるということをすっかり忘れていた。○○に抱く愛情はこの20年で深まりもしたし変容もした。幾多の試練に出会うたび、夫婦の愛はそれを乗り越えるための形に変わっていった。愛とは相手を最優先で考えること、自分を捨てること、嵐のなかを漂うつぎはぎだらけの船が沈まないようにすることを意味するようになっていた。だが、□□との愛は小さなボートのようなもの、静かな水面をただたゆたっていればよかった」。

捜査上の規律違反を咎められ、上司から無理やり休暇を取らされた、警察官になって10年、刑事課に配属されて5年のロンドン警視庁の女性刑事、セイディ・スパロウは、祖父が住むコーンウォールで、森の奥にひっそりと広がっている湖、庭園と、家具や調度が残されたまま廃屋となっている大きな屋敷、湖畔荘を見つけます。「のっぺりした湖面が秘密めくスレート色の光沢を帯びる。すると突然、この自分が侵入者以外の何ものでもないという気分になった。踵を返して歩きだす。イチイの茂みをくぐる抜け、犬たちを家路へと追い立てるうちに、刑事課に身を置く人間なら自然と研ぎ澄まされる勘とでもいうのか、ある確信めいたものが生まれていた。かつてあの家で、何か恐ろしいことが起きたのだと」。

70年前に、この屋敷で生後11カ月の当家の長男が失踪したこと、懸命の捜査にも拘わらず事件の謎が未だに解明されていないこと、失踪した男児の生死が杳として知れないこと、そのため、湖畔荘はその後、荒れるまま長らく放置されてきたこと、行方不明となった男児の当時16歳だった姉が、超売れっ子推理作家のアリス・エダヴェイン、86歳であること――を、セレディは知ります。刑事魂に駆り立てられたセレディは謎解きに乗り出し、アリスから話を聞こうと3度手紙を出すが、無視されてしまいます。セレディの手紙を読んだ「アリスの頭のなかに当時の映像が、トランプのカードのように次々に降りそそいだ。きらめきを放つ湖に膝までつかった捜索隊、図書室のむせ返るような暑さに汗だくになっていた太った警官、しきりにメモを取る年若い新米警官、死人のように青ざめた顔で地元紙のカメラマンの前に立つ父と母。あのときフレンチドアに背中を押しつけて両親を見つめながら、どうしても打ち明けられずにいる秘密に気が揉め、胸底に巣食う罪悪感に苛まれていた自分が、いまも見えるようだった」。

ピースが一枚ずつ提供されるたびに、読者はあっと息を呑むことになります。「いつしかセレディの顔が脈打ち、火照りだした。新たなシナリオが形をとりつつあった。・・・すべてがしっくりと溶け合うかのように、それを目にする誰かの登場を待っていたかのように、いくつもの断片がひとところに折り重なっていく。苦境に立つメイド・・・一家が待ち望む男子誕生・・・子宝になかなか恵まれない女主人・・・。誰にとっても願ったりかなったりの解決策だったはず。ところが突然、そこに亀裂が生じたのだ」。

「あまりにも多すぎるパズルのピース、しかも各人がまちまちのピースを握りしめていた。唯一すべてを知っていたのは(アリスの母・)エリナだが、彼女はそれを決して人に明かそうとはしなかった」。

「何かが足りないのだ。あともうちょっとで辻褄が合いそうなのだが、肝心要のパズルのピースが欠けている気がしてならなかった」。

「セイディはふと思った。薬物や酒の力を借りれば快感を得るのは簡単だが、謎解きがもたらすぞくぞく感には到底かなわない。予想外の展開を見せるこの手の謎ならなおさらだと」。

何と、1カ所だけだが、日本が登場します。「『どちらも親が考古学者で、世界各地の発掘現場を渡り歩いていたとか。□□とうちの母親は、両方の家族が日本に滞在していたときに知り合ったんだそうです』」。

そして、思いもかけない結末が待ち構えています。江戸川乱歩が生きていたら、間違いなく本作品を世界十大推理小説の一つに選んだことでしょう。