榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

紀元前220年に西洋で、そして東洋で起こったこと。その時、人々は――・・・ 【情熱的読書人間のないしょ話(1258)】

【amazon 『B.C.220年 帝国と世界史の誕生』 カスタマーレビュー 2018年10月5日】 情熱的読書人間のないしょ話(1258)

ムベの実が赤紫に色づき、イチジク、ザクロ、イチョウ、カキ、カリンの実が熟れ始めています。ワタの実が赤みを帯びてきました。もう暫くすると実が弾け、この種は木綿になる茶色の綿毛が収穫できるそうです。秋の深まりが感じられる今日この頃です。因みに、本日の歩数は10,990でした。

閑話休題、『B.C.220年 帝国と世界史の誕生』(南川高志編、山川出版社)は、一般的な世界史の本とは、2つの点で大きく異なっています。

第1点は、紀元前220年に焦点を絞り、世界で何が起こったかを追究していることです。西洋ではローマ帝国が、東洋では秦帝国とそれに続く漢帝国が誕生した経緯が、4人の研究者によって詳しく解説されています。こういう世界史的共時性を重視した書籍がこれまでなかったわけではないが、その深みのある論考は類書を圧倒しています。

第2点は、現在から結果論的に歴史を振り返るのではなく、未来の不可測性に直面せざるを得なかった紀元前220年当時の人々の視点に立って記述されていることです。さらに、征服者・支配者の側だけでなく、被征服者・被支配者の側の考え方や行動にも言及しているのは、特筆すべき長所です。

ローマに征服されたギリシアの人々は、どのような生活を送っていたのでしょうか。例えば、「地中海で5番目に大きな島であるクレタには、ヘレニズム時代、50から60ほどの都市が存在していたが、これらの都市は絶え間ない戦争に明け暮れていた。・・・(これらの都市は)ほぼつねに戦時体制下にあったので、それぞれの都市は将来の戦士を育てるために男性中心の同志会(ヘタイレイア)を発達させ、その同志会が男部屋(アンドレイオン)で式次第にのっとった共食(シュッシティオン)を定期的におこなうことで、小帝国主義実現のための強固な社会的紐帯を維持していた」。

「当時のクレタ島のもう一つの大きな特徴は、それがヘレニズム世界でも有数の移民の送り出し地域だったことである。多くのクレタ人が、ヘレニズム諸王朝や有力都市に傭兵として仕えるために、海を渡った。例えば、前3世紀末の数年のあいだに、約3000から4000のクレタ人傭兵とその家族が、小アジアの都市ミレトスに移住したことが知られている。・・・コイレ・シリアの都市ガザからは、クレタ人傭兵の実態を伝える、興味深い墓碑銘が出土している。この墓碑銘は、クレタのアノポリス出身の傭兵ハルマダスとその家族に関するもので、彼の娘が別のギリシア人傭兵とおそらくガザで家族をもったこと、そして、ハルマダスがプトレマイオス朝のもとで傭兵として活躍する一方、故郷のアノポリスのためにも戦士として駆けつけたことが記されている。ハルマダスがラフィアの戦いに実際に参加したかはわからないが、ヘレニズム王朝が戦った大会戦、そしてギリシア都市の覇権と存立をかけた戦いの裏側には、こうした無数の個人の闘いの物語があったことを忘れてはならない」。

秦による統一時の人々は、どのような境遇に置かれていたのでしょうか。湖南省北西部の遺構が2002年に発掘され、古井戸のなかから38000枚あまりの「里耶秦簡」と呼ばれる木簡が見つかりました。「秦代に役所の業務遂行のなかで作成され、保管されていた公文書が、やがてこの古井戸に廃棄されたとおぼしい。里耶秦簡によると、遷陵県が設置されたのは前222年のことである。前年に楚を滅ぼした遠征軍は、この年さらに南下し、長江以南に存在した土着勢力を平定しており、これを承けて洞庭郡やその配下の県がおかれたらしい。この山深い里耶の地にもさっそく秦の役人が送り込まれ、そこで前221年、すなわち始皇26年を迎えることになる」。

「征服戦争とその後の統一事業は大規模な人の移動をともなった。遠征軍に動員された秦の人たち、戦乱による荒廃で故郷を離れざるをえなくなった被征服地の人たち、新占領地に送り込まれた官吏・兵士・刑徒など。さらに統一が成った後も軍事行動や土木事業は続き、それにも多くの人間が動員された。占領地の力を削ぐため、天下の有力者12万戸が首都咸陽に移住させられたほか、始皇帝陵周辺に3万家、雲陽宮に5万家という具合におこなわれた強制移住のことも忘れてはなるまい」。

歴史好きを納得させるユニークな一冊です。