戦国時代とルネサンス期の事例から敗者の条件を抽出・・・【情熱的読書人間のないしょ話(395)】
我が家の庭の片隅で、赤、白、桃色のペチニュアが咲いています。散策中に、桃色の絨毯のようにびっしりと花を付けているサツキを見かけました。因みに、本日の歩数は10,229でした。
閑話休題、『敗者の条件』(会田雄次著、中公文庫)は、日本の戦国時代とイタリアのルネサンス期の武将や領主に共通する「競争」をキーワードに、激烈な競争に敗れ去った者たちの条件を考察しています。
今回、久しぶりに本書を再読して、驚いたことがあります。ビジネスの世界で日夜、組織の内外のライヴァルたちと競争を繰り広げていた時代に読んだ時、これは心に留めておかなければと思った項目と、今回、心に響いた箇所とが、あまりにも異なっていたからです。
敗者の条件の一つに挙げられている「覇者の出自にこだわる者(佐々成政、滝川一益)」の一節が、ずしりと心に響きました。「闘争の世界では、覇者が倒れたとき、その後継者をめぐって激烈な闘争が行なわれるが、その間しだいに、有力な数人の姿が大きく浮かびあがってくる。さらにはそれが二人になる。そして、最後に残ったものが成りあがりものであるときには、前覇者の血筋につらなるものとその側近者は没落をまぬがれがたい。この運命からのがれ、新しい時代に生きのびようとするものは、新覇者に従属して生きのびるべく、そのもとにおもむかねばならない。・・・この乗り換えに際して障害となる最大のものは、自分自身に対する過重評価と新覇者への軽蔑感である。とりわけ後継者に対する評価がどうしても低くなるということだ。成政や一益が勝家に味方したのはまあよい。どちらかに賭けるべきときだったからである。だが、その胸中に、卑賎な小者あがりの秀吉に対する反感があり、秀吉の実力を察知できなかったところに、彼らの根本的な誤りがあったといわねばならない」。私の経験に照らしても、この指摘は当を得ているからです。