榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

関東大震災直後、流言蜚語によって多くの朝鮮人が虐殺されたことを知っているか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1266)】

【amazon 『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』 カスタマーレビュー 2018年10月12日】 情熱的読書人間のないしょ話(1266)

あちこちで、キノコを見かけました。「入そめて 国ゆたかなる みきりとや 千代とかきらし せんたいのまつ」。居城を仙台に移し、それまでの千代の文字を仙台に改めた伊達政宗が、末永く繁栄するようにとの願いを込めて詠んだ和歌とのことです。

閑話休題、『証言集 関東大震災の直後 朝鮮人と日本人』(西崎雅夫編、ちくま文庫)を読んで、辛く暗い気持ちになりました。

1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災の直後から、日本人による朝鮮人の虐殺行為が頻発しました。被害は中国人や、朝鮮人と疑われた日本人にも及びました。「朝鮮人が井戸に毒を入れた」、「放火した」などの流言蜚語の拡大に積極的な役割を果たしたのは内務省であり、虐殺を行ったのは軍隊、警察、自警団、そして一般の人々でした。

本書には、その生々しい証言――子供の作文、文化人らの証言、朝鮮人の証言、市井の人々の証言、公的資料に残された記録――が幅広く収録されています。

子供の作文から――。「道のわきに2人ころされていた。こわいものみたさにそばによって見た。すると頭ははれて血みどろになってシャツは血でそまっていた。皆んなは竹の棒で頭をつついて『にくらしいやつだ、こいつがゆうべあばれたやつだ』とさもにくにくしげにつばきをかけていってしまった」。

「私は聞のする方へ行って見ると、男の人が大ぜいで、棒を持って朝鮮人をぶち殺していました」。

文化人らの証言から――。「後ろをふりむくと、子供を背に負った(日本人の)婦人達が2、3人、その死体に唾を吐きかけながら、何というひどい鮮人めだと叫びあっているのを耳にした。・・・路傍に撲殺されたままでころがっている屍骸を1つ目撃した」。

「私も見たのだが、近くのどぶ川にうつぶせに浮んでいたのは、町の住民に殺された朝鮮人の死体であった」。

「朝鮮人を1人つかまえたといって音楽学校のそばにあった交番のあたりで、男たちは、手に手に棒切れをつかんで、その朝鮮の男を叩き殺したのです」。

「『昨夜もこの河岸で10人ほどの朝鮮人をしばって並べて置いて槌でなぐり殺したんですよ』『その屍体は?』『川の中や、焼けている中へ捨てました』」。

「空地に、東から西へ、ほとんど裸体にひとしい死骸が頭を北にしてならべてあった。数は250ときいた。・・・まだ若いらしい女が腹をさかれ、6、7ヵ月になろうかと思われる胎児が、はらわたのなかにころがっていた。が、その女の陰部に、ぐさりと竹槍がさしてあるのに気づいたとき、ぼくは愕然として、わきへとびのいた」。

「一番先に追いついた男は長いツルハシを振り上げると、(遠浅の海を)逃げる男の脳天目がけて力いっぱい打ちおろしました。血が噴水のように飛び散ったあとは、寄ってたかってメッタ打ち。海水を真赤に染めて男は沈んでゆきました」。

市井の人々の証言から――。「刺し殺せ! と誰かがいう、ヤレヤレという声がすると鮮人の身体に穴ボコが出来る、何等手向うことなく彼らは死んで行く」。

「5、6人の朝鮮人が後手に針金にて縛られて、御蔵橋の所につれ来たりて、・・・通りがかりの者どもが我も我もと押し寄せ来たりて、『親の敵、子供の敵』等と言いて、持ちいる金棒にて所かまわず打ち下すので、頭、手、足砕け、四方に鮮血し、何時しか死して行く」。

「向こうから、朝鮮と思われるようなのをまとめて追い出し、こっちから(連隊が)機関銃ならべて撃ったんですよ。橋の上で、もうみんな、それが川の中へバタバタおっこっちゃったわけですねえ」。

「河原では、10人ぐらいずつ朝鮮人をしばって並べ、軍隊が機関銃でうち殺したんです。まだ死んでいない人間を、トロッコの線路の上に並べて石油をかけて焼いたですね」。

「警察署の構内で殺されたのは86人だ」。

「半分焼け残った電柱に朝鮮人がしばられていて、そのかたわらに『不逞鮮人なり。なぐるなり、けるなり、どうぞ』と書いた立て札があって、コン棒までおいてある。そいつァ顔中血だらけになっていたが、それでも足けりにしたり、ツバを吐きかけていくものがいてねェ・・・」。

「江戸川を毎日、3、4人の死体が針金の八番線でじゅずつなぎになって流れてきた。みな朝鮮人が殺されたんだ」。

「お腹の大きい赤ちゃんが生まれるような人が自分の腹を結わえられて水に投げられ、赤ちゃんが生まれちゃって、赤ちゃんがへその緒でもってつながっているんです。そしてお母さんがあお向けに浮いている、赤ちゃんがフワフワ浮いているんです」。

「薪でおこした火の上に4人か5人の男の人が、朝鮮人の手と足が大の字になるように、動かないようにもって下から燃やしているんですよ。火あぶりですよね。焼かれると皮膚が茶褐色になるんです。だから焼かれている朝鮮人は悲鳴をあげるんですがもう弱っている悲鳴でした。そして殺した朝鮮の人が次々に川に放りこまれているのです」。

「この広場にも腹を割かれた妊婦の死体があった。そのほかにも女性の死体の陰部へ竹の棒を突き差したままのものもあった」。

「惨殺されていたのは30ちょっと出た位の挑戦婦人で、性器から竹槍を刺している。しかも妊婦である。・・・5、6人の鮮人が、例のごとく針金でゆわえつけられ、石油をぶっかけて火をつけられている。生きながらの焚殺だ」。

編者は、凄惨な記録を、こう結んでいます。「今でも大きな地震があるたびに外国人を排斥するデマが流れる。『朝鮮人を殺せ!』というヘイトスピーチが大音量で街頭を流れる。日本社会には95年前と変わらぬ光景が現れつつある。その恐ろしさの一端でも本書で感じていただけたら幸いである」。