関東大震災時の朝鮮人虐殺の目撃証言集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(2386)】
ナンキンハゼ(写真1)、モミジバフウ(写真2)、ニシキギ(写真3)が紅葉しています。
閑話休題、『風よ 鳳仙花の歌をはこべ――関東大震災・朝鮮人逆説・追悼のメモランダム(増補新版)』(ほうせんか編著、ころから)には、関東大震災時の朝鮮人虐殺を目撃した証言が多数、収録されています。「ほうせんか」というのは、「関東大震災時に虐殺された朝鮮人の遺骨を発掘し追悼する会」です。
「このまま忘れていってしまうには。あまりに大きく、深刻な事件だった。軍隊や警察も虐殺を行なったが、民衆の殺害もまたすさまじかった。それほどに『朝鮮人暴動』などの流言は信じられた。・・・その恐ろしさを教える事件だった。記録するのもつらい証言だが、やはり私たちは忘れてはならないし、世代をこえて伝えていかなければならない。すさまじい証言をつらねることに迷いはあるが、ありのままを受けとってもらえたらと思う。私たちがこの事件を風化させたとき、遺骨のゆくえすら分からぬ人に、さらに無念を重ねさせてしまう」。
目を背けたくなるような証言ばかりだが、実態を明らかにするために、勇気を奮って3つだけ引用します。
●<今の京成荒川駅の南側に温泉池という大きな池がありました。・・・追い出された朝鮮人七、八人がそこへ逃げこんだので、自警団の人は猟銃をもち出して撃ったんですよ。むこうへ行けばむこうから、こっちへ来ればこっちから撃ちして、とうとう撃ち殺してしまいましたよ>(井伊<仮名>)。
●<たしか三日の昼だったね。荒川の四ツ木橋の下手に、朝鮮人を何人もしばってつれて来て、自警団の人たちが殺したのは、なんとも残忍な殺し方だったね。日本刀で切ったり、竹槍で突いたり、鉄の棒で突きさしたりして殺したんです。女の人、なかにはお腹の大きい人もいましたが、突き刺して殺しました。私が見たのでは、三〇人ぐらい殺していたね。荒川駅の南の土手だったね。殺したあとは松の木の薪を持って来て組み、死体を積んで石油をかけて燃やしていました。・・・大きな穴を掘って埋めましたよ。土手のすぐ下のあたりです>(青木<仮名>)。
●<四ツ木橋の下手の墨田区側の河原では、一〇人ぐらいずつ朝鮮人をしばって並べ、軍隊が機関銃でうち殺したんです。まだ死んでいない人間を、トロッコの線路の上に並べて石油をかけて焼いたですね。そして、橋の下手のところに三カ所ぐらい大きな穴を掘って埋め、上から土をかけていた。・・・死体は何百だったでしょう。九月はじめだから、町中にたおれている死体もくさって、においはひどかった。本当にひどいことをしたもんです>(浅岡重蔵)。