榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

著者の日常体験と、読書から受けた影響が渾然一体となったエッセイ集・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1426)】

【amazon 『読書間奏文』 カスタマーレビュー 2019年3月16日】 情熱的読書人間のないしょ話(1426)

バード・ウォッチャー榎戸にとって、今日は嬉しい日となりました。高らかに囀るウグイスを、遂に、カメラに収めることができたからです。セイヨウアブラナ(ナノハナ)の花が一面を黄色く染めています。ミツマタの黄色い花が芳香を放っています。因みに、本日の歩数は10,604でした。

閑話休題、『読書間奏文』(藤崎彩織著、文藝春秋)は、読書に関するエッセイ集だが、著者自身の日常体験と、読書から受けた影響が渾然一体となって、独特な雰囲気を醸し出しています。

例えば、「悪童日記」は、こんなふうです。「日記をつける時には、途中からルールを設けることにした。一番大切なルールは、感情が昂ぶった時はなるべく早く素直に文章にするということ。例えば、喉から内臓が出てしまいそうな程誰かに対して怒りを感じたら、『あんなやつ、いつか報いを受ければいい』と書いてみる。・・・反対に、幸せを感じた時も同じようにする。恋に浮かれている時も、仕事の成功を喜んでいる時も、よく眠れた日の朝の気分も、感じたそのままの言葉で書く。『今すぐに電話したい気持ちをもう二日も我慢している!』も、『頑張ってきたことが、やっと報われた』も、『久しぶりにゆっくり眠れて気持ちが晴れやかだ』も平等に書く」。

「ところが私のルールとは全く反対のルールで書かれた日記がある。アゴタ・クリストフの『悪童日記』に出てくる双子の少年たちは、過酷な日々を生き抜くための手段の一つとして日記を書いている・・・。確かに、『悪童日記』には、『と思った』という記述がない。感情を書かないという点では、私のルールとは正反対と言えるかもしれない。彼らはこのルールの通り、恐ろしい程にどの角度から見ても真実になる言葉を選び抜き、少しでも正確さに欠ける言葉を排除して日々を綴っている。でも、読んでいると彼らの言葉が冷静であればある程、私の日記が感情的であればある程、彼らと私の間で、日記を書く上で共通していることもあるような気がするのだ。それは、多面的に物事を見よう、という試みなのではないかと思う」。

「悪いことが続き、思い詰めてしまうような出来事が起きると、私は十五歳から書き続けてきた日記を開く。例えば作詞作曲が上手く出来ず、自信を失った時には『このままではバンドに自分は必要なくなるだろう。そしたら、膿が見える旅館で済み込みで働きながら生きるのもいい。音楽以外の道で生きることは、自分を否定することじゃない』と書いている。・・・希望が持てない状況に陥るとそれが永遠に続くと思ってしまう私を、日記が救ってくれることは多い」。

「『悪童日記』の双子の少年たちにとっても、日記は自分たちを支える鎧であり、武器だったのではないだろうか」。

「全ての感情が永遠に続くことはない。私が希望を失っても、私が私自身のことさえ失いそうになってしまっても、日記は教えてくれるのだ。その絶望が永遠に続くことはない、と」。