榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

江戸時代に、徂徠ら儒者vs宣長ら国学者の論争が展開されていた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1456)】

【amazon 『江戸の思想闘争』 カスタマーレビュー 2019年4月15日】 情熱的読書人間のないしょ話(1456)

1時間ほど粘って漸く、高らかに囀るウグイスをカメラに収めることができました。サクラのギョイコウという品種が薄緑色の花を咲かせています。サクラのウコンという品種の花は薄黄色です。白っぽい花のカスミザクラが満開を迎えています。モモも頑張っています。ハンカチノキの花を包む苞葉が緑色をしています。間もなく真っ白なハンカチのようになります。因みに、本日の歩数は14,539でした。

閑話休題、『江戸の思想闘争』(山泰幸著、角川選書)では、儒家と国学者の思想闘争の内容が、海外の思想家の言説も援用しながら、丹念に辿られています。

登場する主要人物は、儒家の伊藤仁斎(1627~1705年)、荻生徂徠(1666~1728年)、太宰春台(1680~1747年)、国学者の賀茂真淵(1697~1769年)、本居宣長(1730~1801年)、平田篤胤(1776~1843年)です。

「18世紀江戸期における新たな社会の胎動のなかで、儒家のなかに、『古学』という新たな立場を主張する者たちが登場します。まず伊藤仁斎の『古義学』として形成され、さらに仁斎に激しく対抗するかたちで、荻生徂徠の『古文辞学』が登場します。仁斎や徂徠によって、『道』という概念が重視され、深い思想的な意味を帯びた概念として、語り出されることになります。・・・徂徠は、『道』を『先王の道』とするのです。『先王』とは『聖人』のことであり、徂徠にとっては、『聖人=先王』とは『道』を制作し、これを人間にもたらした制作者のことです。これによって人間は文化を獲得し、人間として社会生活を営むようになったのです。つまり、『道』は『聖人=先王』によって、『与えられたもの』なのです。・・・徂徠は、鬼神(祖霊、霊魂)祭祀もまた、『聖人=先王』が制作したといいます。・・・『鬼神』もまた『鬼神祭祀』とうかたちで、『聖人=先王』が制作して人間に『与えたもの』、『贈与』なのです」。

「荻生徂徠の登場以前と以後で、江戸時代の学問の世界は一変したといわれています。徂徠は、日本思想史上、最も波紋を呼び起こした思想家の一人といっていいでしょう」。

「江戸期の思想において、社会現象は自然法則と未分離であるとする朱子学に対して、自然法則から社会現象を分離し、独自の現象として捉えたのが仁斎であり、さらに社会現象を人為的に改変可能なものとして捉えたのが、徂徠なのです」。

「徂徠の弟子の太宰春台は、徂徠が説き始めた『道』の学説を受け継いで、さらに徹底化を図った儒家といえます。春台は『弁道書』という道を説いた書物の中で、日本には元来『道』というものはなく、中国から聖人の教えが伝わって、はじめて日本に『道』というものができたと述べています。つまり、日本は本来、自然状態にあったが、中国から聖人の教えがもたらされた結果、はじめて文化をもったのだ、と主張するのです」。

「古代の日本が『自然状態』であり、『聖人の道』によって、古代の日本は『自然状態』から脱して、『文化』を獲得したという考え方を、快く思わない人たちが出てくることになります。国学者たちです。これに強く反発したのが、賀茂真淵です」。徂徠や春台らの「道」の言説に対する反発から、それとの差異化を通じて、国学的言語が形成され、多くの儒家や国学者を巻き込んだ、いわゆる「国儒論争」が展開されていきます。

真淵の弟子であり、篤胤の師匠に当たる本居宣長は、「中国では『道』という言葉をわざわざ言葉に出していうのは、それだけ乱れていたので、道についてしつこくいう必要があったというのです。・・・宣長における『道』は、人々の行為を外から規制するために為政者が後から作為的に設けたものではなく、『皇国(日本)』においては、最初からすでに実現されているものなのです。この点で、真淵の『道』の捉え方とも通じるところがあります。・・・宣長は、まず異国が昔から乱れていたといいます。そして、狡賢くて、人をうまく手懐けて騙して、人の国を奪い取り、また人に奪われないことばかりを考えて、人々を政治的にうまく支配しようとする者を、中国では、『聖人』というと述べるのです。宣長は、聖人をはっきりと否定的に捉えていることがわかります。宣長は、自己の利益のために人々を騙して支配する作為と欺瞞に満ちた人物として聖人を捉えているのです」。徂徠の「聖人」と宣長の「聖人」とは、正反対の捉え方をされているのです。

そして、宣長の日本中心主義的な発想を極端なまでに推し進めたのが篤胤と言えるでしょう。

本書のおかげで、江戸時代に展開された激烈な論争の全体像を俯瞰することができました。