榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

秀吉の朝鮮出兵の目的は、兵士の雇用対策と、強敵の家康封じだった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1012)】

【amazon 『学校では教えてくれない戦国史の授業――秀吉・家康 天下統一の謎』 カスタマーレビュー 2018年1月30日】 情熱的読書人間のないしょ話(1012)

近くの「梅の花・おおたかの森店」で、女房が私の誕生日祝いをしてくれました。小さいながら和風の庭を見ながら昼食を取れるので、落ち着きます。因みに、本日の歩数は10,075でした。

閑話休題、『学校では教えてくれない戦国史の授業――秀吉・家康 天下統一の謎』(井沢元彦著、PHP研究所)によって、歴史を学ぶ面白さを再認識させられました。

面白さの第1は、秀吉の朝鮮出兵は兵士たちの雇用対策だったという指摘です。「秀吉が『唐入り(=朝鮮出兵)』を行ったのは、決して頭がおかしくなったからではありません。天下を統一したことで国内に戦う相手がいなくなり、仕事がなくなってしまった40万もの専業兵士たちに対する『雇用対策』だったのです。・・・ですから当時『唐入り』は、戦いに飽いた大名たちはともかく、失業の危機に瀕していた40万人の兵士たちからは『まってました!』とばかりに大歓迎された決断だったのです」。

秀吉の「唐入り」には、もう一つの目論見があったというのです。「秀吉はこの『唐入り』で、豊臣政権の最大の弱点である『徳川家康』の存在感を小さなものにしようとしていたと考えられるからです」。「秀吉は加藤清正や小西行長といった子飼いの信用できる部将を唐入りで勝たせ、家康に対抗できる大大名に育てようと考えていました」。ところが、この大プロジェクトは大失敗に終わり、豊臣政権に大きなダメージを与えることになるのです。

第2は、イベントの元祖は織田信長で、豊臣秀吉がそれを進化させたという主張です。「秀吉は信長のそばにいて、大衆を喜ばせる術というのを学んだのだと思います。でも、ここが秀吉のすごいところなのですが、彼は単に信長のイベントを真似るのではなく、さらに大衆が喜ぶものに進化させているのです。信長の(安土城完成時の民衆への公開、安土城下の相撲大会開催などの)イベントというのは、どちらかというと『見せてやるぞ』という感じのものです。つまり、いろいろなイベントをやっているのですが、どれも『公開型のイベント』なのです。これに対し、秀吉のイベントは、いわゆる『一般参加型のイベント』を目指しているのです。権力者が一般庶民の参加を許した初めてのイベント。それが『北野大茶湯』と呼ばれるものです」。

第3は、秀吉には、鶴松、秀頼以外に実子がいたという推考です。「実は(秀吉には)長浜城主だった時代に石松丸という男の子がいたという説があるのです。否定的に捉えている人もいますが、私はこれは事実だったと思っています」として、複数の根拠を挙げています。