榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

前方後円墳の周濠は、周辺の水田に水を供給する溜池機能を有していた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1534)】

【amazon 『水田と前方後円墳』 カスタマーレビュー 2019年7月1日】 情熱的読書人間のないしょ話(1534)

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閑話休題、『水田と前方後円墳――巨大前方後円墳はなぜ突然現れまた消えていったのか』(田久保晃著、農文協プロダクション)を読んで、頭をガーンと殴られたような衝撃を受けました。巨大な前方後円墳の墳丘を取り囲む周濠は周辺の水田に水を供給する溜池機能を有していたという著者の主張が、あまりにも意外、大胆、説得力大だからです。著者の仮説に従えば、巨大前方後円墳が突如、出現し、そして潮が引くように消えていった謎が解けるのです。

考古学、歴史学などいろいろな角度から研究されてきたこの問題に、このような思いがけない説が登場してきた背景には、著書が農業土木技術の専門家ということが大きく影響しています。自分が前方後円墳の設計者だったらという観点からの発想、検証は、非常に説得力があります。

「ある年の日照りが続いたある日、ある者があることを思いついた。川の水量が豊富な時期に、墓の壕へ川から水を引き入れ、それを貯めておくようにする。そして、日照りが続き川の水や湧水が枯れて水田の水が不足したとき、貯めておいた水を水田で使う。古墳周濠を『溜池』として利用することを思いついたのである。纏向の人びとは、川に井堰を設け取水し、古墳周濠への水路を掘り導水し、干ばつに備え周濠に貯水した。周濠の溜池効果は絶大であった。川の水は流れ去ってしまうが、周濠の水は必要とされる時期まで待ってくれた」。

「私は、その後の纏向大集落の発展過程とその性格を次のように考えた。ヤマト王は、さらなる『米の増産によるクニ造り』を目指し大事業を開始する。それは、今までにないような巨大な墓所と池を造り、灌漑可能な水田の面積を拡大することで、ヤマト王の威光を諸コクに示すことであった。のちに最初の巨大前方後円墳として知られる箸墓古墳をはじめ、いくつもの巨大前方後円墳の造営を開始した。池を掘り巨大な墳丘を築くために各地から人が集められ、纏向の工事に従事する人びとのためのベースキャンプ的な集落もできた。そして、巨大前方後円墳の周濠を水源に拓かれた水田は、古墳築造に携わった人びとに分配された。纏向の大集落は、『農は国の大本なり』を合い言葉にクニ興しを行ったクニ、ヤマトの本拠地であった」。

「纏向での前方後円墳の周濠を活用した新田開発と米の安定生産に成功したヤマトは、この手法を用いてクニ造りを着々と進めていった」。

「あることが気になりだした。それは、3世紀中ごろに最初の巨大前方後円墳・箸墓古墳が築かれてから大型古墳が造られなくなる6世紀までの間、新たに築かれた古墳ほど周濠の溜池としての立地条件が悪くなり、周濠の規模のわりに、その貯水機能が低下したのではないか、ということである」。

「(前方後円墳の周濠に対し)谷池は、川を塞ぎ止めるのに都合のよい場所があれば、そこにわずかな盛土で堤を築くことで、水を大量に貯め込むことができる。・・・7世紀になると、谷池築造技術がほぼ実用の域に達し、かなりの数の谷池形式の溜池が築かれるようになった」。首長の墓としての機能に溜池としての機能を付加した前方後円墳の周濠を掘る労力よりも、谷池を築く労力は桁違いに少ないことから、前方後円墳は必要とされなくなってしまったというのです。

これで、巨大な前方後円墳が突如、出現し、そして消えていった理由が明らかになったと言えるでしょう。