榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

挫折しかかった利根運河掘削を完成させた若き実業家がいた・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1649)】

【amazon 『利根運河を完成させた男』 カスタマーレビュー 2019年10月23日】 情熱的読書人間のないしょ話(1649)

大好きなアオスジアゲハを追って藪に分け入ったところ、皮膚がチクチク痛むではありませんか。コセンダングサの実の鋭い刺の仕業です。ツマグロヒョウモンの雄、ヒメアカタテハの雌、キタキチョウ、セスジツユムシの雌をカメラに収めました。川に沿った草原では、緑色型のトノサマバッタが飛び交っています。少数だが、褐色型のトノサマバッタも交じっています。イボバッタも見つかりました。因みに、本日の歩数は11,123でした。

閑話休題、我が家からそう遠くない、千葉・北西部を流れる利根運河は、野鳥、昆虫、水棲生物、植物などの私の絶好の観察コースです。

明治時代に、利根川と江戸川を結ぶ運河掘削を目指した利根運河会社は、工事途中で工期の遅れや財務逼迫により経営危機に直面してしまいます。その時、莫大な私財のほとんどを注ぎ込んで、運河開通を成し遂げた若き実業家がいたと耳にし、『利根運河を完成させた男――二代目社長・志摩万次郎伝』(田村哲三著、崙書房出版)を手にしました。

「利根運河は利根川(柏市船戸)と江戸川(流山市深井新田)を結ぶ約8.4キロメートルの運河である。明治21年に起工され23年に竣工した。・・・幾多の変遷を経て、運河会社の設立によって民間事業で完成された。設計はオランダ人工師ムルデル、総工費約57万円、延べ工員220万人、ツルハシ、モッコという人力によって完成された」。

「それまで利根川の中・下流と江戸川の間は陸送に頼っていたが、運河ができたことによって銚子から東京に直接通船することができるようになった。それによって物資の大量輸送が可能となり、発展する東京の経済を支えた。・・・通船の翌年、明治24年には年間37,590艘の船が通航したが、その後、鉄道輸送に主役の座を奪われ次第に減少していった。また、たびかさなる水害もあって経営が困難となり、昭和17年、内務省に売却され会社は解散した。・・・(現在)運河周辺は野鳥や野草の宝庫としても知られている」。

「明治21年夏、志摩万次郎は利根運河会社の株主になった」。その後、志摩は筆頭株主となります。

会社が経営危機を迎えたため、「社長の選挙を行った結果、志摩万次郎が利根運河会社二代目社長に就任した。・・・明治22年5月23日、志摩万次郎38歳であった」。

「志摩は社長に就任したが、これまで検査員や株主として指導し見てきた以上に、会社の内外は極めて混乱状態で、すべてにおいて改善を必要としていた。・・・費用の節減は尋常な手段では目的達成の望みはなく、社長自ら給料を廃し次いで理事の給料も廃した。・・・その他にも、会社の出費や工事資材の無駄を除くなど、細部にわたっての節減をはかってようやく費用の面でも前途に希望が持てるようになった」。経営の陣頭に立った志摩は、社内組織や掘削請負人の改良、変更、工事資材の点検、費用の節減などを着々と進めていったのです。

利根運河開削竣工式に寄せられたムルデルの祝詞には、こういう一節があります。<現任社長志摩君がその天性の剛毅堅忍を振るい、前社長の後を受け、身命をなげうち寝食を忘れて奔走、尽力し、遂に工事を迅速に成工させたことにたいしては、私の最も深謝するところである>。

本書を読み終わって感じたことが、3つあります。第1は、明治時代に、無給の上、私財を注ぎ込んで難事業を完成させた若き実業家がいたことを知った、同胞としての喜び。第2は、歴史の闇に埋没し、忘れ去られていた志摩万次郎という人物を発掘し、照明を当てた著者の、人々に真実を知ってほしいという熱い心意気。第3は、歴史の真実を知って、観察会でしばしば訪れる利根運河が、より身近に感じられるようになったこと。