榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

渥美清、萩本欽一、ビートたけしらを育てた男の笑いに懸けた生涯・・・【情熱的読書人間のないしょ話(1666)】

【amazon 『起きたことは笑うしかない!』 カスタマーレビュー 2019年11月8日】 情熱的読書人間のないしょ話(1666)

東京・文京の小石川後楽園の紅葉は、もう少し先のようです。因みに、本日の歩数は13,483でした。

閑話休題、『起きたことは笑うしかない』(松倉久幸著、朝日新書)は、60年以上に亘り、東京・浅草で芸人たちを育ててきた松倉久幸、83歳の、笑いと芸人を巡るエッセイ集です。

年季が入っているだけに、著者の笑いに対する考え方は、哲学といってもいいレヴェルに達しています。「笑えないことも笑っちまおうッテね。・・・どん底の経験を思い出せばいいのです。それも自分自身の姿に照準を合わせれば尚更効果的です。他人に迷惑をかけずに嫌な経験をとことん反芻できますからね。あのとき俺は、アイツを恨んだな。行く末を思いつめたな。焦ったな。取り繕ったな。悲劇のヒーローになって酔いしれたな、云々。ホンネ満載。『あーバカだったな~俺は!』。呆れながらも笑うしかありません」。

著者が率いてきた「浅草演芸ホール・東洋館(旧・浅草フランス座)」からは、由利徹、三波伸介、伴淳三郎、渥美清、萩本欽一、伊東四朗、東八郎、ビートたけしなど、数多くの芸人が巣立っていきました。

「映画『男はつらいよ』シリーズの『寅さん』で、日本の国民的俳優になった渥美清という俳優がいましたね。今は『寅さん』の舞台となった葛飾区柴又の駅前に、車寅次郎の格好で銅像なんかになっちゃっているけれど、もとはといえば、彼も浅草で芸を磨いた人間です。若い頃は私どもが経営する浅草フランス座で、コメディ俳優として大人気でしたよ。だから浅草には、柴又に渥美清をとられてしまったってんで、悔しがっている人間も大勢います。もちろん、私もその一人(笑)」。

「彼は大学在学中、浅草フランス座の座付き作家だったんですよ。当時、劇場側も芝居には力を入れていましたから、背景や大道具なんかも本格的なものを用意したし、脚本だって面白いものを書いてもらいたいってんで、文芸部をつくって座付き作家を雇っていたんですね。のちにテレビの人形劇『ひょっこりひょうたん島』などで有名になった小説家、井上ひさしも、この座付き作家募集を見て面接を受けて入ってきた一人です」。

「日本を代表するコメディアンに、萩本欽一って男がいますね。彼を尊敬している一人が、この私です。彼もまさしく浅草出身のコメディアン。東洋興業が経営する東洋劇場で、文字通りゼロから笑いを学んでいった人物です。のちに高視聴率番組をどんどんつくっていった彼ですが、そんな御仁でさえ、当初はテレビ界に戸惑い四苦八苦した挙句、一度は浅草に戻ってきたこともあります」。

「ところが、いかんせんこのタケ(ビートたけし)ときたら愛想がない。当時の私も、支配人が『新エレベーターボーイです』と連れてきた彼に会っていますけど、いやあ、礼儀正しくはあるけれど、どこか暗い印象でね。笑いの世界に進みたいと思っているなんて想像もしませんでした。後年の彼の成功を見るたびに、笑いってのは生来のものじゃないんだなぁとつくづく感じ入ったもんです」。

「『チャンスの神様には前髪しかない』って諺、あれは本当ですね。数多くの芸人が浅草に来ては去っていきましたけど、そこには本人の才能や努力に加えて、チャンスをつかめるかつかめないか、それ以前にそもそもチャンスがやってくるかどうかっていう運の問題も関係しているんですよね。欽坊(萩本欽一)にもタケにもそれがあった」。芸人に限らず、全ての人間は、やって来た運に気づき、持てる力の全てを投入してそれをつかめるか否かに、その後の人生が懸かっているというのが、長く生きてきた私の実感です。