榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

恋愛や恋愛小説に初級者向けや上級者向けがあるの?・・・【山椒読書論(420)】

【amazon 『恋しくて』 カスタマーレビュー 2014年2月25日】 山椒読書論(420)

恋しくて』(村上春樹編訳、中央公論新社)には、村上春樹好みの海外のラヴ・ストーリーの短篇9つと、自身の書き下ろし短篇1つが収められている。

村上が後書きで言っているように、「いろんな種類の、いろんなレベルのラブ・ストーリー」が集められている。そして、「世の中には初心者向けの素直で素朴な恋愛もあれば、上級者向けの屈折した恋愛もある。だとしたら初心者向けの恋愛小説があり、上級者向けの恋愛小説があって当然ではないか」と、自説を披瀝している。彼の作家・翻訳家としての特異な才能を認めるのに吝かでないが、彼のこの考え方には違和感を覚えてしまう。なぜなら、恋愛は初級者向けも上級者向けも関係なく、相手を堪らなく好きになってしまうことだし、恋愛小説も初級者向けとか上級者向けとかいうことよりも、読む者の心にじわーっと沁みてくる作品か否かの違いしかないと思っているからだ。

村上が、「本書の中ではアリス・マンローの『ジャック・ランダ・ホテル』とリチャード・フォードの『モントリオールの恋人』が、小説的に見ても恋愛的に見ても、間違いなく上級者向けにあたるだろう。練れた著者の手になる、練れた大人の愛の物語。『子供にはなかなか、このへんはわからんだろう』という雰囲気がそこには色濃く漂っている。というか正直言って、大人の僕にだってよくわかりにくい部分がところどころあります(それは単に僕がいまだ『上級者』に含まれていないからかもしれないけれど)」と、謙遜(?)気味に述べているが、私には、村上によれば、「かなり率直な短編小説」として「初級者向け」に分類されている「甘い夢を」(ペーター・シュテム著)が、一番心に沁みてきた。

「甘い夢を」は、こんなふうである。「ララはいつものように(一緒に暮らし始めて間もない夫の)シモンと向かい合わせには座らず、隣に座った。そして食事の間中、彼に触っていた。彼の腕を撫でたり、首の後ろを上下にさすったりしていた。食事のあと、二人はそこに座ったまま長く話をした。ララは陽気になっていた。いつもより早口で、饒舌だった。『ちょっと酔ったみたい』と彼女は言った。『じゃあ、注意した方がいいかもな』とシモンは笑みを浮かべて言った。『ベッドに行こうか?』」。「二人(ララとシモン)は一緒に暮らし始めたばかりなのだろうと彼(たまたま二人を見かけた作家)は推測していた。まだアパートメントの家具を集め、あれこれ買い揃えている最中だろう。そして微かな驚きをもって、これから自分たちの前に控える歳月について考えを巡らせ、この関係がいつまで続くのだろうと自問していることだろう。『私の関心を引いたのは、何かを始めようとするときの、そのような幸福に満ちた、しかし同時に僅かな不安をも感じる瞬間なのです』と作家は言った」。

村上自身の短篇は、「目を覚ましたとき、自分がベッドの上でグレゴール・ザムザに変身していることを彼は発見した」と始まる、フランツ・カフカの『変身』の後日譚ともいうべき作品である。村上は各短篇の最後に、その作品の「恋愛甘苦度」なるものを付している。自身の作品については、「恋愛甘苦度・・・甘味★★★、苦味★★」としているが、私なら、「甘味★、苦味★、けれんみ(味)★★★」とするだろう。