アランは、不機嫌、怒りを戒め、積極的に幸福を目指せと言っている・・・【山椒読書論(484)】
アランの『幸福論』は、何度、読み返しても、心に沁みるが、今回は村井章子訳の『幸福論』(アラン著、村井章子訳、日経BP社)を繙いてみた。
アランは、とりわけ「不機嫌」を戒めている。
「ほほえみ」――「不機嫌はよくない。不機嫌は私たちを縛り、締めつけ、窒息させる。ちょっと憂鬱になってきたら、それに応じてふるまうというたったそれだけのことで、もう憂鬱から抜けられなくなってしまう。・・・不機嫌に立ち向かうとき、知性は無力であり、ほとんど役に立たない。私たちの身体のうち自分自身で制御できるのは運動を伝える筋肉だけなのだから、すぐに姿勢を変え、適切に身体を動かすことだ。たとえば、ほほえむ」。
「ストア派」――「しあわせになる秘訣の一つは、自分の不機嫌に無関心になることである」。
「健康法」――「不運に出くわしたら上機嫌にふるまおう」。
アランは、「怒り」にもしばしば言及している。
「雄弁な情念」――「怒っている人間は、自分で自分にセリフを言う悲劇役者に成り下がっている」と自分に言い聞かせよとアドヴァイスしている。
アランは、読者にこういう生き方を薦めている。
「想像力という病」――「あるとき拾い上げた苦悩は時の道筋にこぼれていき、不幸な時にも必ず新しい時が来る。老人とは老いていく若者ではなく、死者とは死にゆく生者ではない。生者にだけ死が訪れるように、幸福な者だけが不幸の重荷を想像する。こうして人間は偽善でなく、自分の不幸より他人の不幸に敏感になりうる。だからこそ、気をつけていないと人生について判断を誤り、一生を台無しにしかねない。悲劇を演じてはいけない。知恵を働かせ、目の前の現実に集中することだ」。
「ヘラクレス」――ヘラクレスの生き方に学べと語りかけ、「意気地のない生き方は。ぐずぐず時間をかけて死ぬことにほかならない」と喝破している。
「運命について」――「欲しいものが手に入らない原因は、ほんとうには望まなかったせいであることが多い」。
「汝自らを知れ」――「たいていの人は自分には敵がいると考えているが、これはそう思い込んでいるだけである。・・・人間には、自分自身以外の敵はほとんどいない。憶断や悲観や絶望によって、また自信を失わせるような言葉を自分に投げかけることによって、人は自分の敵になる」。
「名医プラトン」――「節制は健康法の妹であり、(健康は)運動と音楽の娘である」。
アランの考える「幸福」とは、どのようなものか。
「友情」――「幸福だから笑うのではない、笑うから幸福なのだ」。
「勝利」――「困難の末の勝利こそが幸福の方程式である」。
「幸福は寛大である」――「愛してくれる人のためになしうる最善のことは、自らが幸福になることである」だってさ。女房に教えてやろうっと。