織田信長は、天下統一を目指してはいなかった・・・【山椒読書論(491)】
織田信長といえば、中世の因習、常識を打ち破り、近世を切り開くという歴史的大転換を成し遂げた人物と見做されてきたが、この通説に真っ向から異論を唱える書が現れた。『織田信長<天下人>の実像』(金子拓著、講談社現代新書)がそれである。
著者は、信長が目指したのは、天下統一ではなく、「天下静謐」であった、しかも、この「天下静謐」は京とその周辺の畿内に限定されたものであったというのである。信長は、天皇や足利将軍の権威を認めず、それを奪おうとしたのではなく、天皇、足利将軍から「天下静謐」を委任されたという自覚のもと、その目的を果たすべく邁進したというのだ。
「信長は戦国時代の室町将軍を中心とした枠組みのなかで、『天下』という領域の平和と秩序を維持すべき将軍を支える存在として登場したのである。このような戦国時代において室町将軍が維持すべき『天下』の平和状態を、のちに(足利)義昭や信長自身も発給文書のなかで用いる言葉である『天下静謐』と呼びたい。これこそ信長がもっとも重視した政治理念(大義名分)であった。信長は天下静謐(を維持すること)をみずからの使命とした。当初はその責任をもつ将軍義昭のために協力し、義昭がこれを怠ると強く叱責した。また対立の結果として義昭を『天下』から追放したあとは、自分自身がそれを担う存在であることを自覚し、その大義名分を掲げ、天下静謐を乱すと判断した敵対勢力の掃討に力を注いだ。・・・おなじ天下人でも、信長と(羽柴)秀吉には大きなちがいがある。信長の使命は、羽柴秀吉が突き進んだ全国統一という道とは別物であるということだ。全国統一とは、もっぱら征服欲にもとづく領土拡張の結果である。・・・(信長の場合は)征服欲とは別に、天下静謐を維持するという目的での他領攻撃があり、その結果としての支配領域拡張があったと考えるべきである」。
「近年では、史料の整理と公開が進み、そのうえで史料研究が深化したことにより、これまでには用いられてこなかった多くの関係史料が見いだされるに至った。そうした史料の紹介検討を含め、史料の整合的な解釈から立ち上げた実証的研究のなかから、信長と天皇・朝廷は対立ではなく、むしろ協調的関係にあったという議論が提起され、いまや対立説を一掃せんとする勢いがある」。
すなわち、信長は公武結合王権の中心人物であったというのが、著者の結論である。
この結論に至る研究成果が中心を成している関係上、本書が地味な印象を与えるのは已むを得ないだろう。しかし、信長の実像が著者の主張どおりであったとするならば、我々の歴史理解は大きく修正せざるを得なくなる。この意味で重要な一冊である。