榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

秘密保護法がもたらす世界とは・・・【情熱の本箱(59)】

【ほんばこや 2014年11月24日号】 情熱の本箱(59)

私は、不勉強で宮澤弘幸という人物を知らなかった。『引き裂かれた青春――戦争と国家機密』(北大生・宮澤弘幸「スパイ冤罪事件」の真相を広める会編、花伝社)で、北大生だった宮澤が冤罪によって27年という短い生涯を終えざるを得なかった事実に接し、衝撃を受けた。

北海道帝国大学工学部の明朗快活な学生・宮澤は、ある日突然、師事する北大・英語教師、ハロルド・レーンに国家機密情報を漏らしたというスパイ容疑で検挙されてしまう。

「宮澤弘幸は『何でも見てやろう、何でもやってみよう』という知的好奇心旺盛な青年だった。北大予科に合格してからも勉学とスポーツに生き生きとした挑戦を続けた。・・・雪小屋実験から穂高・槍登山まで山登りに勤しんでいる」。

「北大生・宮澤弘幸には、(5歳年下の)高橋あや子という恋人がいた。・・・宮澤弘幸が大切な知人らに高橋あや子を紹介するとき『この人は私の大事な人です』と言うようになり、この言葉を聞いて、あや子は弘幸の強い愛情を感じとっていた。・・・宮澤弘幸が一斉検挙で特高に捕らわれたのは、この(急病で入院したあや子を弘幸が見舞った)翌日だった」。あや子は、弘幸を忘れることができず、生涯、独身を通したのである。

「先の戦争で3百万人のいのちが奪われた。だが奪われたいのちの数倍、数十倍もの人間が、生きて悲しく辛い思いをした。それが戦争なのだ」。

「レーン夫妻も英語を教えるだけの英語教師ではなかった。自宅を開放し、生活の中での全人教育を試みている。そこへは(宮澤ら)予科の生徒だけでなく、誰もが寄ってきた」。「こんな風景を、特高はとても理解できなかったのだろう。『外国人を見たらスパイと思え』『欧米崇拝思想の是正こそが防諜の完璧を期する近道』と叩き込まれ、さらには『日本人も、すべてスパイの潜在的可能性がある』と、そう思い込んでいる。まるで異端、異端狩りと同じで自分たちの理解を超えるものはそれだけで悪と決めつけ、根絶やしに血道をあげた」。

「従来、特高の取締り活動で最も拠り所としたのは治安維持法だったが、未遂、偶然、過失にまで罰条を広げた改定『軍機保護法』は、一気に、官憲当局の使い勝手を広げたことになる」。国家が気に食わない人々に牙を剥き、軍機保護法を利用して無実の市民を冤罪に陥れた事例は数多いが、冤罪によりその将来と命を奪われた宮澤のケースは、我々の怒りを掻き立てる。

「私たちは、権力という言葉をよく使う。普段の生活の中で権力を実感する機会は少ないが、たとえば戦時中や戦争へ向かうとき、権力はその本体を現し、国策(戦争)に反対する市民に対して牙を剥く。圧倒的な組織力と金、強制権限を用い、『合法的に』市民を牢に閉じ込め、『合法的に』市民を殺す。そうした権力の暴走の一手段が情報に対する統制である。この本の主人公である北大生の宮澤弘幸さんや、その先生のレーンさん夫妻らが、アジア太平洋戦争開戦の日に検挙され、懲役15年などの重刑を受けたのは当時の軍機保護法ゆえだった。これは当時の国家秘密法(情報統制法)であり、日中戦争が始まった1937年に改正・拡充されている。いったん強力な情報統制法ができてしまえば、特高警察や刑事司法という権力が、戦争遂行のため、立法時の歯止めをいかに簡単にかなぐり捨てて不条理な適用を市民の身に加えるか、最悪の実例の一つがこの事件である」。

「統制法規というものは、人権に配慮するかのような美しい装いをまとって成立するが、成立した途端に臆面もなく装いを脱ぎ捨てて独り歩きをし始めることが、この事件ではっきりとわかる。2013年12月、自民党の安倍晋三・第二次政権は、防衛、外交などの国家秘密の漏えいに重罰を科す『特定秘密保護法』を、野党や多くの国民の反対を押し切って強行可決した。続いて2014年7月、やはり多くの国民や野党の反対を振り切り、歴代政権の憲法解釈を放擲して、集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。『海外で武力行使できる国』への転換である。特定秘密保護法案の文言の微調整による成立過程や、集団的自衛権行使容認のため『限定性』が強調されて閣議決定に至った経緯を見れば、まるで同じ筋書きの芝居を見せられているようだ。今から73年前、真面目で行動的な学生にすぎなかった宮澤さんや、クエーカー教徒で徹底した平和主義者だったレーンさん夫妻の身にふりかかった恐ろしい出来事は、決して昔話とは言えない状況が、いままた現出しつつある」。

宮澤らは、なぜ捕らわれたのか。「宮澤・レーン事件の場合は、検証しようにも最初から逮捕状がなく、起訴状を含む捜査・公判記録の一切が失われ、判決文までが完全な形では残っていない。敗戦のどさくさに乗じ、それを保存すべき国家権力自身が自らの保身のために破棄隠滅していたからだ」。

「スパイ取締りという、当時の国情では誰もが否定し難い正義を表看板にして、実際には戦争遂行を至上命令とする国家権力にとって気に入らない国民および外国人を一網打尽にする冤罪法というのが軍機保護法の役割だったと言える。これこそが『宮澤・レーン事件』の本質であり、冤罪の根源だといえる」。

獄中の宮澤はどう扱われたのか。「蟹は、両手両足を締め上げて体を折る刑務所内制裁の一つで形が蟹に似ていることから『蟹刑』と呼ばれ受刑者に怖がられた。後年に、(弘幸の)妹・美江子は網走刑務所の博物館にその実物展示を見つけ、背筋を凍らせて兄の恐怖を知った。釈放後の療養中、タオルで背中を拭ったとき、骨と皮ばかりになった兄の背中の皮膚に、縄の筋目と思われる痕がいく筋も刻み込まれていたのが、まぶたに焼き付いている。誇り高く、正義を信じる宮澤弘幸は独房にあっても頑強に己を主張し、何度となく『蟹』にされたのだろう。いや、蟹だけではない。妹・美江子の耳には『両足首を麻縄で縛られ、逆さに吊るされて殴られた、両手を後ろに縛られて、それに棒を差し込んでいためつけられた』という兄の呻きが残っている」。

「身は解放されたが名誉は回復されていない。治安維持法で収監されていた人たちの多くは、敗戦を境に『犯罪者から英雄』に逆転した。だから刑務所を出る時には大勢の万歳で迎えられた。しかし宮澤弘幸を出迎えたのは、両親だけだった。宮澤弘幸と家族には『逆転』はなく、釈放はされたものの、世間の評はなおも元『スパイ』であり、家族は元『スパイ』の家族のままだった。その上、体はぼろぼろになっている。刑務所から出る時に、母・とくが息子・弘幸に履かせたいと思って持ってきた靴は骨と皮だけにちかい足には履けなかった」。

本書は、強行可決された秘密保護法、閣議決定された解釈改憲に反対の人だけでなく、賛成の人にも目を通してもらいたい重い一冊である。