榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

日本の裁判の堕落ぶりを実例で告発する警世の書・・・【リーダーのための読書論(57)】

【amazon 『ニッポンの裁判』 カスタマーレビュー 2015年4月23日】 リーダーのための読書論(57)

日本の裁判官は、精神的「収容所群島」の「檻」の中の囚人たちだ、と喝破した『絶望の裁判所』(瀬木比呂志著、講談社現代新書)に衝撃を受けた私にとって、その姉妹篇である『ニッポンの裁判』(瀬木比呂志著、講談社現代新書)は、読まずにいられない書なのである。

『絶望の裁判所』は制度批判の本であったが、本書は裁判の実態そのものを鋭く批判・告発している。いずれのページも読み応えがあるが、私がとりわけ目を奪われたのは、国策捜査と原発訴訟について生々しく語られた部分である。

「民主主義国家の理念と基本原則に反する国策捜査」の節では、こういうことが書かれている。「国策捜査とは、何らかの政治的意図に基づいて、また、世論の風向きや空気をも読みながら行われる捜査、ことに特捜検察のそれを指して用いられる言葉である」。

この実例として、村木厚子が標的となった郵便不正事件(2004年)、小沢一郎が狙われた陸山会事件(2004年、2005年)、堀江貴文のライブドア事件(2004年)、鈴木宗男事件関連の佐藤優のケース(2000年)などが挙げられている。

「小沢一郎氏が無罪となった陸山会事件も、当初の報道時から、裁判官であった私でさえ、どこがそんなに重大な犯罪なのか、新聞をよくよく読んでみないとわからない(より正確にいえば、いくら読んでもなおよくわからない)ような内容だったのであり、小沢氏の無罪は刑事裁判の原則から当然として、その秘書たちについても、本当に『起訴相当』であったのか、疑問がないではない。政治資金収支報告書の虚偽記載が政治資金規正法違反に当たるというのだが、検察主張によっても、要するに記載のあり方がずさんであるというにとどまり、限りなく形式犯に近い内容なのである。・・・実際には、検察は、小沢氏について、不起訴としながら陰では検察審査会を利用して立件を図っていた疑いがある。つまり。(検察側の)虚偽報告書作成は組織の方針の方針に従って行われた行為であった疑いがあるということだ。・・・村木事件、小沢事件における特捜検察の捜査能力の低下、モラルの低下、事案の本質をみる力の低下は、目をおおいたくなるものである。冤罪事件における警察のずさんな見込み捜査と何ら変わりのないレヴェルまで落ちてしまっているのだ」。

「ライブドア事件の堀江貴文氏に関する証券取引法違反や、やはり国策捜査事件であった鈴木宗男事件関連の佐藤優氏に関する罪状のうち少なくとも背任についても、そもそも起訴に値する事件なのか、また、前者については実刑が相当なのか、後者については本当に有罪であるのか、疑問が大きいものであった」。

「国家が以上のような不公平でかたよった権力行使を行うことは、民主主義の弱体化を招くばかりでなく、体制全体をファシズム化させる危険性もあり、また日本の国際的評価をもそこなう事柄である。さらに、こうした国策捜査は、社会全体に大きな萎縮効果をもたらし、その活力をそぎ、人々の間に事なかれ主義を蔓延させるという意味でも、害が大きい」。

「統制されていた原発訴訟」の節では、最高裁判所事務総局によって、原発訴訟では国家や原子力業界、電力業界等に有利な判決を下すよう裁判官が統制されている実態が暴かれている。「電力業界、規制官庁である経済産業省、政治家、学者が長らく癒着した原子力業界では、福島原発事故以降『原子力ムラの癒着と醜態』が厳しく批判されているとおり、『安全神話』に疑義を呈する意見や提案はことごとく封殺されてきた。・・・国民、市民の代理人として最後の厳正な判断を求められる司法の役割は、きわめて重い。エネルギー政策の問題はおくとしても、少なくとも、危険な原発の安易な再稼働を許すべきでないことは明らかであり、その点に焦点を絞った毅然とした訴訟指揮、審理判断が望まれよう。私としては、『司法は最後のフェイルセイフ機能を的確に果たすべきである』と考えている。それが、元裁判官である民事訴訟法学者としての私の結論である」。

著者の主張は全くもって正論であり、その勇気には頭が下がる。著者に続く裁判官の奮起を促すと同時に、全裁判官を陰で実質支配している最高裁事務総局の解体を急ぐ必要があると考える。