村人のために闘った理想主義者の悲劇的な生涯・・・【情熱的読書人間のないしょ話(131)】
若い時分に木曽路を訪れた際に妻籠で撮った写真を眺めていたら、馬籠、妻籠が舞台の長篇小説『夜明け前』を読み返したくなってしまいました。
『夜明け前』(島崎藤村著、新潮文庫、第1部上・下巻、第2部上・下巻)は、著者・島崎藤村の父・島崎正樹がモデルで、幕末から維新、そして明治前半に至る激動期に、木曽路の人々のために闘った理想主義者の悲劇的な生涯が写実的に描かれています。
物語は、このように始まります。「木曽路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の崖であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた」。
主人公・青山半蔵は馬籠宿の庄屋・本陣・問屋の役を務めており、妻籠宿本陣当主の妹と結婚しています。
「過ぐる月日の間、半蔵はあちこちの村々から腰縄付きで引き立てられて行く不幸な百姓共を見て暮した。人民入るべからずの官有林に入って、盗伐の厳禁を犯すものが続出した。これをその筋の人に言わせたら、規則の何たるかを弁えない無智と魯鈍とから、村民自ら犯したことであって、更に寛恕すべきでないとされたであろう。それにつけても、まだ半蔵には忘れることの出来ないずっと年若な時分の一つの記憶がある。馬籠村中のものが吟味のかどで、かつて福島(木曽福島)から来た役人に調べられたことがある。それは彼の本陣の家の門内で行われた。広い玄関の上段には、役人の年寄、用人、書役などが居並び、式台の側には足軽が四人も控えた。村中のものがそこへ呼び出された。六十一人もの村民が腰縄手錠で宿役人へ預けられることになったのも、その時だ。・・・それほど暗いと言われる過去(江戸時代)ですら、明山は五木の伐採を禁じられていたにとどまる。その厳禁を犯さないかぎり、村民は意のままに山中を跋渉して、雑木を伐採したり薪炭の材料を集めたりすることが出来た。今(明治時代)になってみると、御停止木の解禁はおろか、尾州藩時代に許されたほどの自由もない。家を出ればすぐ官有林のあるような村もある」。耕地が少なく、農業が難しい山村の人々は、森林から締め出されては生活が成り立たなかったのです。
「半蔵等が今一度歎願書の提出を思い立ち、三十三ヶ村の総代として直接に本県へとこころざすようになったのも、この郷里のありさまを見かねたからである」。繰り返し嘆願書を差し出すものの、これらの努力は実らず、半蔵は福島支庁に出頭を命ぜられ戸長(旧庄屋)を免職されてしまいます。翌日の帰り道で、彼は憤りを鎮めながら、「御一新がこんなことでいいのか」と独り言ちます。新時代に対する彼の期待は裏切られたのです。
村人を救いたいという理想を実現すべく懸命に闘ってきたのに、一向に報われないことに絶望した半蔵は、遂に精神を病み、座敷牢で最期を迎えます。明治19年11月のことでした。
藤村は、近代化に裏切られた父の無念を本作品に結晶させたのです。