社長・佐治敬三と平社員・開高健は似た者同士だった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(227)】
今日は初めての場所を散策したのですが、収穫がたくさんありました。たまたま行き合わせた地元の婦人から、今年は11月9日に10匹ほどのサケが遡上してきたが、その後は見かけないと教えられ、川を覗き込みました。諦めかけた時、バシャと水音がして傷だらけのサケが現れました。千葉県柏市の住宅に沿って流れる大堀川にサケが遡上してくるとは! その直後、カワセミをカメラに収めることができました。続いて、スズメほどの大きさのキツツキのコゲラとシジュウカラもばっちり撮ることができました。ダイサギ、コサギ、カモたちも見ることができました。因みに、本日の歩数は10,854でした。
閑話休題、『佐治敬三と開高健 最強のふたり』(北康利著、講談社)には、サントリーの佐治敬三と開高健の36年に亘る心温まる交流が描かれています。
多くのエピソードが紹介されていますが、開高の親友の谷沢永一の文章が、二人の関係を生き生きと伝えています。「開高をつかんだ佐治は、開高を生涯の友人として遇した。このひとは、才を愛すること敬すること激しく、年少者に対等の座を供する。開高にとっては、終始、ときに甘えうる懐きうる存在であった。佐治敬三に話題がおよぶとき、開高の眼にはうるおいがあった。最後まで、サントリーを、我が家、と観じていた」。
著者は、こう記しています。「身体が大きくて声がでかい。底抜けに明るく豪快で無神経な言動も多いが、実はシャイで傷つきやすく繊細な神経の持ち主。そして心の奥に、触れられたくない心の傷を抱えている。それが二人の共通点だった」。
「彼らは互いの中に似たものを感じ、惹かれあい、刺激しあって人生をより豊饒なものとしていった。佐治敬三がいなければ開高健が作家として大成することはなかっただろうということは容易に想像がついたが、開高健がいなければ佐治敬三もあれだけの仕事はできなかったのではないか」。
2代目社長・佐治と開高、山口瞳、柳原良平ら宣伝部の侍たちは、ヒット広告を飛ばし続け、企業業績に大きく貢献します。
「開高という男は、表面上豪快にふるまっていたが、むしろ壊れやすいガラスのような感性を持ち、アメリカの国民作家アーネスト・ヘミングウェイにも似て、性格の根本に繊脆なところがある」。
「陰気なリーダーに求心力は生まれない。彼(佐治)がいるだけで周囲が明るくなった。人が集まった。にぎやかになった。サントリー美術館、サントリーホールなどの文化事業にも、惜しげもなく金を出した。でっかく儲けて、でっかく散じて、世の中を明るく照らしたのである。佐治敬三という男は、まさに『太陽』のような存在であった。いや、太陽であろうと努力した人であったと言ったほうがいいかもしれない。彼もまた、実は開高同様の繊脆さを内に秘めていたのである。だからこそ理解しあえる部分があったのは間違いあるまい。豪快に見えて、気配りは人一倍である。時として調子に乗り『いちびり』をして失敗したが、それは周囲を明るくするため気をつかった結果だった。情にもろく、人一倍笑ったが、人一倍涙を流しもした。そんな彼らはたがいに影響を与えあい、繊脆さを克服して命がけの戦いに挑み、浮きつ沈みつしながら限られた人生を果敢に生き抜いた」。
「日に日に名声を高めていた『作家・開高健』は、サントリーにとって最大の広告塔であったが、敬三の前では依然として『寿屋のコピーライラー』でもあった」。
「(広告賞の)授賞式で開高は、ご機嫌で敬三にこう話した。『どうです佐治はん、私とあんたが組んだ仕事はことごとく大成功でっせ!』。『洋酒天国』から続いている二人の運はまだ尽きていない。開高を大事にしているとまだまだいいことがあると、彼は言いたかったのだ。稚気愛すべしである」。
58歳という早過ぎる死を迎えた開高。その1年後の開高の命日に、エッセイスト、ノンフィクション・ライターの高恵美子が自ら命を絶っています。彼女は開高を師と慕い、悪妻に悩む開高を愛し愛された女性ですが、このエピソードも心に残ります。
仕事だけでなく、人生、友情、愛についても考えさせられる一冊です。