戦国大名を「家中粛清」と「外聞重視」の視点から捉え直す試み・・・【情熱的読書人間のないしょ話(264)】
女房はお節料理など新年の準備で忙しいようなので、一人で散策に出かけました。樹木のレースでできたドレスをまとった貴婦人に出会いました。貴婦人に見えたのは、送電線の白い鉄塔でした。我が家の正月飾りは至って地味です。因みに、本日の歩数は10,085でした。
閑話休題、『戦国大名の正体――家中粛清と権威志向』(鍛代敏雄著、中公新書)に、戦国大名には意外な側面があったことを教えられました。
それは、「家中粛清や王殺し(主君の殺害)による領国統制」と「外聞・面目重視による正当性の主張」です。
「戦国大名にとって、家中粛清は常道だった。・・・戦国大名の軍事国家は、主に家中粛清によって構築された。『王殺し』を含めて、粛清は戦国大名の権力や権威の源泉となった。粛清における正当性および正統性が、家中や分国(領国)内で評価され認知されてこそ、政権の安定を見ることができた。戦国大名の分国は、あくまでも正当な武威に支えられた軍事優先の主権国家だったのである」。戦国大名各氏の実例が示されています。
「天下」とは京都のことであり、特殊な例を除いて、戦国大名たちは全国統一を視野に入れていなかったと、実例を挙げて主張しています。「天下とは主に京都のことであり、さらに天皇および将軍による中央政権のことを指していた。天下国家とは、中央の天下と地方の国家のことをいう。だから『天下一統』とは中央政権の安定、『天下静謐』とは朝廷を中心とした中央政権の平穏を意味する言葉だった。これらを考え併せると、やはり戦国大名には、独自の天下統一の構想はなかったものと判断せざるをえない。ましてや、日本列島の統一などといったことは、夢のまた夢だった。・・・したがって、全国統一政権を構想して、本拠の居城や城下町を放擲し、次々と居城を移しながら首都を目指すとか、地方に全国区の拠点を建設するといったようなことは考えもしなかっただろう。戦国大名たちは、分国の拡張範囲と家臣の強固な土着性や、政治経済センターとしての城館および城下町のキャパシティーは充分に承知していたはずである」。
意外なことに、戦国大名たちは外聞や面目にこだわったというのです。面目と名誉を重んじることは「武士において顕著であり、戦国武将は『外聞』にこだわった。宣教師たちの手紙は面白い。『武士は富よりも名誉を大切』に思っている。武士が領主に臣従するのは、『背いた時に自らの名誉を失うと考えるため』といった記述がある。戦国期の武将が名誉心に執着していたことがうかがえる。外聞へのこだわりが想像できるだろう。・・・戦国大名が執着した外聞ないしは面目は、自らの武威の正当性をより高めるための言説であった。それも実儀があわせて語られることから、武家の道理に適っていなければならなかったのである」。
戦国大名が遺した史料を読み解きながら、彼らの思考の道筋を辿り、それに基づく行動の規範について考察した本書は、戦国大名を考えるとき、貴重なヒントを提供してくれます。