ブッダの創始から今日までの仏教の歴史が一気に分かる本・・・【情熱的読書人間のないしょ話(265)】
私は基本的には明るく朗らかな人間ですが、許せない事態に遭遇したとき、怒りを爆発させて怒鳴ってしまう悪癖があり、企業人時代は部下、後輩だけでなく、同僚や上司にまで迷惑をかけてきました。この癖を直そうといろいろ試みたのですが、なかなか改善できませんでした。これではならじと、笑い猫の縫いぐるみをデスクの脇にぶら下げることにしたのです。その笑い顔を見ると、怒りが鎮まり、笑い猫と出会ってからは、この7年間、一度も怒鳴っていません。
閑話休題、『仏教入門』(三枝充悳著、岩波文庫)は、仏教の歴史を大掴みするのに最適な一冊です。
仏教は、ブッダの創始以来、どのような歩みを経てきたのでしょうか。「仏教は、紀元前5世紀ごろ、ゴータマ・シッダッタ(ガウタマ・シッダールタ)がさとりを達成してブッダ(覚者)となり、その教えを人々のまえに説いた時点にはじまる。その教えに心服した人々が仏弟子または在家信者となり、当初の比較的ゆるやかなサークルは、やがて教団に発展した。ブッダの滅後に教団の整備が進められ、同時に、すぐれた仏弟子たちの何人かがインド各地にブッダの教えを説いて、仏教はインドの諸地方に普及する。仏滅後百余年(別説2百余年)ごろ、拡大した教団は、伝統保守の上座部(じょうざぶ)と進歩的な大衆部(だいしゅぶ)との2つに分かれ、その後さらに細分裂が2百年あまり継続して、約20の部派が成立した。これらのうち、上座部の一派は前3世紀半ばにスリランカに伝えられ、いわゆる南伝(または南方)仏教が形成される。それはのちに東南アジア一帯に拡大して、今日に及ぶ。インドに部派仏教が栄えるなかで、しばらくして大乗仏教が紀元前後以降に登場し、多種多彩の新しい大乗の諸仏と諸菩薩が出現して、以後は部派と大乗との並列がつづく。7世紀には密教がさかんになり、以上の3つが一部まじわりながら継承されるものの、すでに4世紀以降は次第に衰運に傾き、13世紀はじめにイスラームの破壊により消滅した。一方、北インドから西域を経て、紀元後まもなく中国に到達したいわゆる北伝(または北方)仏教は、ほぼ大乗仏教を主流とし、のちに密教を加える。それは4世紀に朝鮮半島へ、6世紀に日本へ、また6世紀末と8世紀半ば以降にインドから直接チベットへ伝えられた。各地に伝来した仏教は、インド仏教の種々相の一部を踏まえながら、それにさまざまなヴァリエィションを施し、種々の変遷や展開をとげて、それぞれの地域と時代と民族性とに相応する仏教として機能した」。
大乗仏教とは、いかなるものなのでしょうか。「大乗仏教の成立とその活躍は、仏教史を華麗に内容豊かに盛りたてただけではなく、極言すれば、仏教を一躍いわゆる世界宗教たらしめる力強い原動力となった。中国―朝鮮半島―日本の、またチベットの仏教、すなわち北伝の仏教は、初期経典や部派の論書もその一部にふくんではいるけれども、ほぼ大乗仏教一色に塗りこめられ、とくに日本とチベットとの仏教は、それぞれの源流も形態も著しく異なるとはいえ、大乗仏教のみが栄えて、今日にいたる。しかしながら、大乗仏教は、釈尊=ゴータマ・ブッダが直接に説いた教えからは遠く隔たっている。そのうえ、これまですでにいわゆる大乗非仏説(大乗は仏説に非ずと説く)が、インド、中国、日本で唱えられ、それをさらにみずから否定する大乗仏教の側の自己弁明のみが目だつ。他方、部派仏教は大乗仏教に関しては何も語らず、問題にさえしなかったらしい。それでもなお、大乗仏教は『大乗諸仏の教説』にほかならないところから、上述の主張は『大乗非釈迦仏説』と訂正されなければならない。それと同時に、大乗仏教は釈迦仏の説(の一部)をなんらかの形で継承し発展させている以上、『大乗は仏説』もまた正しい」。
ブッダが辿り着いた悟りとは、どういうものなのでしょうか。「釈尊は菩提樹下のさとりにおいて、ニルヴァーナ(理想の境地)を達成した。換言すれば、成道とはニルヴァーナの体得であり、それによってゴータマはブッダないしムニ(聖者)となり、したがって、ニルヴァーナは釈尊また仏教のスタートであり同時にまたゴールでもある、と評されよう。『スッタニパータ』や『ダンマパダ』のような古い経は、ニルヴァーナをほぼ、愛執の遮断、欲望・執着の滅、無所有、貪 瞋癡(三毒)の滅尽、また不生不滅、虚妄ならざる法、洲(ディーパ)、真理、最高の安楽、智慧などと詠ずる。しかも釈尊にみられたとおり、ニルヴァーナがこの現世において達成されるよう仏教は目ざして」いるのです。