真珠湾奇襲攻撃にまつわるルーズベルト陰謀論が流布したのはなぜか・・・【情熱的読書人間のないしょ話(291)】
長野の奈良井宿は、江戸時代の中山道の宿場町の雰囲気を色濃く残しています。冬の宿場町は静寂に包まれていました。珍しい高札場と水場が残されています。雪を被った松本城は凛としています。天守の最上階まで急な階段の連続でした。因みに、本日の歩数は14,724でした。
閑話休題、『真珠湾の真実――歴史修正主義は何を隠したか』(柴山哲也著、平凡社新書)では、真珠湾奇襲攻撃にまつわるルーズベルト陰謀論が考察されています。ルーズベルト陰謀論がなぜ流布したのかが解明されているだけでなく、日本外務省が駐米大使館宛てに送った宣戦布告のつもりだった「対米覚書最終通告」が、ハワイ攻撃開始後に遅れて米国の国務長官の手許に届いたのはなぜか、さらに、ルーズベルトが真珠湾攻撃直前に昭和天皇に送った和平を求める親電が届くのが約10時間も遅延したのはなぜか――も明らかにされています。
なお、ルーズベルトの昭和天皇宛ての親電には、「日米両国民間の伝統的友好を回復し世界平和を求める」という日米友好の和平へのメッセージが盛り込まれていました。しかし、軍部(参謀の戸村盛雄と瀬島龍三)と外務省(課長の加瀬俊一)連携の遅延工作により、この土壇場のルーズベルトの昭和天皇への和平提案は生かされることがなかったのです。
「資源のない日本は米国の石油禁輸の圧迫でじり貧化し、『国家の自存自衛』の危機に陥り、あげく米国大統領ルーズベルトの陰謀と罠に引っかかって『真珠湾奇襲攻撃と日米開戦』を余儀なくされたと、歴史修正主義者は考えるのである」。
ルーズベルトは「真珠湾攻撃に関する情報を得ていながら、対応せず、ハワイには情報を知らせず放置した、その理由は、戦争に反対していたアメリカ世論と野党(共和党)を騙して、第二次世界大戦に参戦するために、日本に真珠湾を奇襲させた」というのが、ルーズベルト陰謀論の骨格です。
「ルーズベルトが本当に真珠湾(攻撃)を知りながらオトリに使ったなら、これは大統領の犯罪となり、米国議会の弾劾の対象になるし、米国世論が許すはずはない。民主主義国家の原理を尊重する立場から見れば、『アメリカの青年を戦場に送らない』と選挙で公約した大統領が、公約を破る裏口作戦の陰謀を働くことなど、常識では考えられない。ましてや名誉を重んじたルーズベルトにあるまじき奇想天外な陰謀論」と、著者は反論しています。
「海軍出身でもあるルーズベルトは真珠湾からの報告に愕然とした。南北戦争以来のアメリカの危機だとルーズベルトは感じた。この危機を避けられなかったことに重大な責任を感じていた」。「真珠湾奇襲は他のすべてのアメリカ人と同様に、大統領ルーズベルトにとっても寝耳に水だった。ホワイトハウスで共に暮らした(妻)エレノアの細部の生活の記録から推測して、大統領が事前に真珠湾(攻撃)を知っていたとは考えられない。遊び好きのルーズベルトは、普段と変わることなく週末は余暇を楽しみ、自分の趣味や親しい友人との余暇に没頭していたと見られる」。
「陰謀論者は米国が暗号解読していたことを過大評価しすぎて、暗号解読で何でも敵の秘密は知っていたはずと錯覚する。しかし暗号解読を過大評価すべきではない。日本の海軍暗号は真珠湾(奇襲)の時点ではまだ解読されていなかったといわれる」。
ルーズベルト陰謀論が虚構であることを明らかにした説得力ある一冊です。