榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

常時、死の恐怖におののいている青年が選んだ道とは・・・【情熱的読書人間のないしょ話(321)】

【amazon 『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか』 カスタマーレビュー 2016年3月18日】 情熱的読書人間のないしょ話(321)

散策中に、白い花が満開のハクモクレンの並木に出会いました。紫色の花のモクレン(シモクレン)も咲いています。一度、ウグイスを見かけたカワヅザクラを連日、観察してきましたが、残念ながら、ウグイスは現れず。代わりに、葉が目立つようになったカワヅザクラの中のメジロをカメラに収めました。ツグミも見つけました。因みに、本日の歩数は11,525でした。

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閑話休題、『僕はなぜ小屋で暮らすようになったか――生と死と哲学を巡って』(高村友也著、同文館出版)は、手作りの小さな小屋と河川敷のテントを行ったり来たりして暮らしている30代の青年の自分史+現状報告書です。

「山梨の静かな雑木林の中に二束三文で土地を買って、自分の手で小さな小屋を建てた。本当にでたらめな工作だったが、今のところなんとか生活できている。小屋には電気・ガス・水道は引いていないが、薪ストーブで暖をとれて、炊飯もできる。水は近くの沢で汲むことができる。ソーラー発電もあるし、暖かい布団で好きなだけ眠ることができる。それから最近、神奈川の河川敷にも土地を買った。こちらは市街地からほんの少し離れた、景色のよい川の畔にある。建築はできないが、そのぶん格安で売られており、テントを広げれば生活できる」。

著者は、なぜこのように風変りな生活をしているのでしょうか。著者は、少年時代に死の存在に気づき、恐れおののき、現在に至るまで格闘してきたのです。「無限の時空に包まれた有限の生というものに気づく。その有限の生を除いた無限の時空には、自分の意識は存在しない。自分が死んでしまったら、その無限の時空へ永遠に溶け込むのである。存在消滅。この事実は僕に絶対的な恐怖の感情を引き起こす。その恐怖感情は、思考と行動のすべてを一瞬にして困難なものとする。すなわち僕は、パニックに陥る原因を生まれながらにして持っている。そして、僕にとってはそれが正常であり、当たり前なのだ」。「いまだに、死の想起がパニックを誘引することがある」。私の感じる死の恐怖も著者と同じ種類のものですが、著者が常時、死を感じ、死のことを考えているのに対し、私は時折、ふっと死の存在を意識するという点が異なっています。

「僕は、現代のメインストリームの生き方も嫌、人間関係の密な相互扶助的な生き方も嫌、そして自給自足するような力もない。となれば、必然的に道はただ一つ。徹底的に質素に生きるしかない。僕は一人でできる程度のことしかしない。本当に最低限のことしかしない。人に頼るといろいろ煩わしいことが出てくるから、一人で立ち上げて一人で回していける範囲で生活する。闇雲に生活を豊かにするのではなく、なるべく何もなしで済ませられるようにする。お金を稼ぐ義務も、人間関係による心の束縛も、自給自足の手間も、煩わしさは似たようなものである。だから、なるべく質素に暮らす。小さなソーラー発電で照明やノートパソコンを動かし、トイレはコンポストトイレで畑に戻す。水は少量を汲み入れて、やはり畑に戻す。薪を蓄えて暖をとり、質素な料理を楽しむ。どれも、そんなに難しいことではない。生活に合わせて自分を造ってゆくことが難しいならば、自分に合わせて生活を創ってゆくしかない」。怠け者の私には、著者のような生活はとてもできません。

著者のように常に死を感じながら生きていくのは大変でしょうが、逆に死のことなど全然意識したことがないというのも問題です。本書は、改めて、避けることのできない自分の死を考えるきっかけを与えてくれます。