榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

翻訳者たちの外国文化への深い思いが凝縮した稀有な一冊・・・【情熱的読書人間のないしょ話(418)】

【amazon 『翻訳者あとがき讃』 カスタマーレビュー 2016年6月15日】 情熱的読書人間のないしょ話(418)

我が家でも、ナツツバキの涼しげな白い花が咲き始めました。一日花ですが、蕾がたくさんあるので、これから連日、楽しませてくれることでしょう。クチナシの華やかだが清楚な白い花も咲き始めました。一日中、辺りに芳香を漂わせています。

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閑話休題、『翻訳者あとがき讃――翻訳文化の舞台裏』(藤岡啓介編著、未知谷)には。外国文化の著名な翻訳者35人が記した後書きが収録されています。

「大げさに言えば、日本の近代文化は翻訳の歴史であり、わたしたちの話す日本語、その表記、思考法、生活様式、日常の仕草のひとつひとつ、それらは、外国文化の翻訳によってそれとなくわたしたちの思考法、生活のふるまいに根付いていったものです。本書はいくらかでもその軌跡を辿ることができればという思いから、近代百年の翻訳書を拾い出してみました。そこには翻訳者という外国文化を愛し理解し、おどろくほどに外国語に堪能であり、かぎりなく日本文化・日本語を愛する人々がいます」。

私がとりわけ強い印象を受けたのは、マーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』を訳した大久保康雄の「解説」です。「南北戦争時代を背景とする歴史小説という点で、この『風と共に去りぬ』は、トルストイの『戦争と平和』にも比すべき大きな道標をアメリカ文学史の上にうちたてたモニュメンタルな傑作であるといえるだろう。・・・作者自身の言葉によっても、事実彼女は、この作品を書くにあたって、『戦争と平和』の影響を最も強くうけたと言っている。・・・しかしこの作品には『戦争と平和』のもつ人生思索の深さがないではないかと指摘するものがいるかもしれないが、若い現代アメリカ女性としての作者に、遠心的な問題に対するロシア文学一流の思想性を期待すること自体が見当はずれであるというより、この作品に具現されているリアルの中に、すでに絶大な思想がふくまれていると見るほうが当っているような気がする。つまりそれは19世紀ロシアと20世紀アメリカとの文化的差違を物語るものにすぎず、逆説的にいうなら、19世紀ロシア的深さは、とうてい20世紀アメリカ的浅さを理解しえないのだともいえるだろう」。大久保のこの見事な比較文化論には目から鱗が落ちました。

エミリー・ブロンテの『嵐が丘』を担当した小野寺健の「訳者あとがき」では、手練れの業を目にすることができます。「私は長年『嵐が丘』に抱いていた疑問を追究して回答を出すために、この翻訳に挑戦した。端的に言えば、『嵐が丘』は果たしてひろく言われているほどの傑作なのか――ひょっとすると、その本質は浅薄なコミックではないのかという疑問だった。この疑問をじつに半世紀以上抱えていたのである。呆れられるだろうか。その結果、くたくたに疲労することになった。だが、疲労のあとには、かつて味わったことのないカタルシスを経験すことになった。・・・『嵐が丘』はいつのまにか時間とともに重量を増し、私の精神を押しつぶしそうになってきた。さいごの頃は必死の格闘になった。そのときにはもう、超一流の作品であることを疑っていなかったことは言うまでもない。そしてすでに述べたように私はカタルシスを経験したのだった。体も頭も疲れきっていたのに、全身がこれまで経験したおぼえのないすがすがしさにつつまれていた。魂を洗われたようだった」。ここまで言われると、小野寺訳の光文社古典新訳文庫版『嵐が丘』で、『嵐が丘』を再読してみたくなってしまいました。

本書は、翻訳者たちの外国文化への深い思いと、編著者・藤岡啓介の先輩翻訳者たちへの敬愛の念が渾然一体となって凝縮した稀有な一冊です。