変身の勧め・・・【リーダーのための読書論(33)】
変身したいと思っても、そう簡単にはいかないものだ。そういうときは、変身物語を読んで、変身した気分を味わうのも一法である。
『山月記』(中島敦著、新潮文庫『李陵・山月記』所収)は、中国の古典を素材にした、「詩人に成りそこなって虎になった哀れな男」の変身物語である。
この虎は、「我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心」が「己の外形をかくの如く、内心にふさわしいもの(虎)に変えて了(しま)ったのだ」と自嘲的に告白している。この作品は、自己の才能にプライドは持っているが、一流になり切れない詩人の苦悩の物語と変身物語が渾然一体となって、一種独特な雰囲気を醸し出している。
『山月記』と同じ本に収められている、中島敦の『李陵』は、中国の歴史書に材を求めた歴史小説である。
紀元前99年、漢の武将・李陵は自ら武帝に願い出て、五千の歩兵とともに、北辺の匈奴を討つべく出発する。寡兵を以て力戦するも、敵の大軍に囲まれて矢尽き、遂に捕虜となってしまう。このことを知った武帝は激怒する。「誰一人として、帝の震怒を冒してまで陵のために弁じようとする者は無い。口を極めて彼等は李陵の売国的行為を罵る」。「唯一人、苦々しい顔をしてこれらを見守っている男がいた。この男はハッキリと李陵を褒め上げた」。「並いる群臣は驚いた。こんな事のいえる男が世にいようとは考えなかったからである。彼等はこめかみを顫(ふる)わせた武帝の顔を恐る恐る見上げた」。武帝の逆鱗に触れて宮刑(男を男でなくする刑罰)に処せられたこの男こそ、後に、この屈辱をばねに『史記』を完成させた司馬遷、その人である。この緊迫感に満ちた作品は、人の生き方を考えるとき、恰好のテキストになると思う。
『変身』(フランツ・カフカ著、高橋義孝訳、新潮文庫)は、「ある朝、グレーゴル・ザムザがなにか気がかりな夢から目をさますと、自分が寝床の中で一匹の巨大な虫に変わっているのを発見した」という書き出しで始まる、不可思議な変身物語である。
布地の若いセールスマン、グレーゴルの変身から死に至るまでの心理と、彼の変身によって経済的な支柱を失った家族――老いた両親と妹――の虫(グレーゴル)への対応が変化していく様が、乾いた文体で描写されている。この小説は、グレーゴルがなぜ変身したのかを語っていないため、読者や研究者を困惑させ、多種多様な解釈を生じさせてきたのである。
『芋虫』(江戸川乱歩著、角川ホラー文庫)は、戦傷で芋虫のような体になってしまった男と、その貞節な妻の妖しい物語である。
「このような姿になって、どうして命をとり止めることができたかと、当時医学界を騒がせ、新聞が未曾有の奇談として書き立てたとおり、須永廃中尉のからだは、まるで手足のもげた人形みたいに、これ以上毀れようがないほど、無残に、無気味に傷つけられていた。両手両足は、ほとんど根もとから切断され、わずかにふくれ上がった肉塊となって、その痕跡を留めているにすぎないし、その胴体ばかりの化物のような全身」は「まるで、大きな黄色の芋虫であった」。一方、「このごろめっきり脂ぎってきた」30歳の妻は、「自分のどこに、こんないまわしい感情がひそんでいたのかと、あきれ果てて身ぶるいすることがあった」。乱歩の倒錯的な世界を垣間見せてくれる作品である。
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