マキャヴェッリの言葉の数々が会田雄次の手で現代に甦る・・・【情熱的読書人間のないしょ話(514)】
チェーザレ・ボルジア(1475~1507年)は、私の最も好きな歴史上の人物の一人です。彼と同時代人のフィレンツェ政庁書記官、ニッコロ・マキャヴェッリ(1469~1527年)の著作『君主論』の中で、理想的な君主として称賛されています。美貌で知られたチェーザレの妹、ルクレツィア・ボルジア(1480~1519年)は、父と兄に政略結婚の具として利用され続けました。
『決断の条件』(会田雄次著、新潮選書)は、我々日本人は優柔不断から脱却し、冷徹な現実把握力と真の決断力を身に付ける必要がある、その具体策はマキャヴェッリに学べという警世の書です。
「大衆の憎まれ役は他人に請け負わせよ」というマキャヴェッリの教えについては、こう解説されています。「マキァヴェリが『君主論』を書くときのモデルにしたチェーザレ・ボルジアは一代の梟雄だった。活躍僅か4年で毒をのまされ駄目になってしまうが、そのときはまだ28歳。法皇の子だし、信長そっくりの才能の持主で、もう20年、せめて10年生きていたら、イタリアの統一が完成していたかも知れない。そうなっていたら近代300年のイタリアの不幸な歴史はすっかり変っていたろうと思われる。マキァヴェリはフィレンツェ市政府の使節としてローマのチェーザレのところに会いに行き、そこでうんと齢下のチェーザレにほれこんでしまった」。
マキャヴェッリは、この青年君主が非常な勢いで上昇し、かつてなかったほどの輝きを放ちながら君臨し、そしてまた、非常な勢いで下降する様を、身近で逐一観察する機会に恵まれたのです。マキャヴェッリは、チェーザレが有するヴィルトゥー(能力)に注目したのです。また、マキャヴェッリは「君主は愛されるより怖れられよ」と言いましたが、そのとおりに実行したのがチェーザレでした。
「謙譲の美徳によって尊大をうちくだけると考えることは大抵失敗に終る」、「(指導者たるものは、いつも)必要にせまられてやむを得ずとる行動でも、自分の意志で行なっているふりをしなければならない」というマキャヴェッリの言葉についての分析も真実の裏面を鋭く見透かしています。