榎戸誠の情熱的読書のすすめ -3つの読書論・ことばのオアシス・国語力常識クイズ(一問一答!)-

レオナルド・ダ・ヴィンチの人生は挫折の連続だった・・・【情熱的読書人間のないしょ話(555)】

【amazon 『レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密』 カスタマーレビュー 2016年10月8日】 情熱的読書人間のないしょ話(555)

パリのルーヴル美術館でモナ・リザに再会した時、私は52歳でした。その頃からこんなに髪が薄かったんですね(笑)。イザベッラ・デステは、なぜか横を向いていました。

img_3473

img_3521

閑話休題、『レオナルド・ダ・ヴィンチの秘密――天才の挫折と輝き』(コスタンティーノ・ドラッツィオー著、上野真弓訳、河出書房新社)は、レオナルド・ダ・ヴィンチの作品を通じて彼の生涯を辿るという手法を採用しています。「考えられないような膨大な資料に押しつぶされて窒息しないように、私は、手稿よりもはるかに明確で分かりやすい彼の作品を年代順に追うことでレオナルドを考察することに決めた」。

レオナルドは、同時代の人々からこのように見られていました。「素晴らしい人物だった。均整がとれたいでたち、優雅な身のこなし、そして、美しい容姿。長い上着が普通だった時代に膝丈のローズ色の上着を着ていた。美しい巻き毛の髪を胸元まで伸ばし、綺麗に整えてあった」。

意外なことに、レオナルドの人生は挫折の連続でした。「レオナルドの芸術家としての活動はいつもバラ色だったわけではない。何度となく屈辱を受け、そのたびに、立ち上がらなければならなかった。その原動力となったのは、リアルさを極めるという思いである。この目的を何よりも優先するあまりに、名声を失うリスクもいとわず、傑作と呼ばれるいくつかの作品を仕上げないまま放棄することもあった。次から次へとパトロンを代え、時には、前のパトロンとはライバル関係にある都市国家に仕えることもあった。・・・山あり谷ありの、けれどもわくわくするようなレオナルドの道のりは、15世紀の主だったイタリアの宮廷を経ながら、その度にそれぞれ何かを生むきっかけになっている。メディチ家の支配するフィレンツェ時代に没頭した思索や様々な出来事、ルドヴィーコ・イル・モーロのミラノ宮廷時代に達した芸術的発展、マントヴァ侯国エステ家のイザベッラ侯妃の魅惑的な書斎、そして、チェーザレ・ボルジアの進軍に随行し、ついにはローマへたどり着く。ちょうど、ミケランジェロがシスティーナ礼拝堂の天井画を描き終え、ラファエッロがヴァティカン宮殿内にその足跡を残そうとしている頃だった。レオナルドの人生は、言い換えるとルネッサンス期のイタリアをめぐる旅でもある」。

私は、レオナルドとイザベッラ・デステ、チェーザレ・ボルジア、モナ・リザとの関わり合いにとりわけ興味を引かれました。

レオナルドは、当時、最も洗練された女性と見做されていたイザベッラ侯妃から自分の肖像画を描いてほしいと何年にも亘り、何度も何度も懇請されますが、結局、素描を描いただけで終わりました。「ヴェネツィアへ向かう途中でマントヴァに立ち寄り、イザベッラの肖像を素描するのだが、それは上半身がほぼ正面を向いているのに顔は横向きというおかしなものだ。胸元においた手の細部、特に手すりに置いた本をさす人差し指がほんの少し上がっている点が、ラ・ジョコンダ(モナ・リザ)に先行するものだと研究者を騒がせる」。私としては、教養豊かなだけでなく、美しさでも群を抜いていたといわれるイザベッラの正面から描かれた肖像画を見てみたいという気持ちに駆られます。

レオナルドは、僅か8カ月間ですが、私の大好きなチェーザレ・ボルジアの軍事顧問を務めています。「1502年7月以降、レオナルドはローマ教皇アレクサンデル6世の庶子でヴァレンティーノ公、チェーザレ・ボルジアに従事する。チェーザレは、フランスの支援を受け、北イタリアの侵略と征服を拡大しながら、政治的均衡をかき乱している最中にあった。彼は国際舞台でのスターであり、ニッコロ・マキャヴェッリにインスピレーションを与え、『君主論』のモデルとなったその人であり、彼自身の魅力と戦略で世界を征服する運命にある人間であった。ダ・ヴィンチは彼の呼びかけに抗うことができず、アヌンツィアータ聖堂の工房を棄て、『聖アンナと聖母子』の画稿も途中放棄し、ヴァレンティーノ公の軍事技術者として仕事をするために弟子たちを連れてフィレンツェを発つ」。

モナ・リザのモデルは誰かについては多くの説がありますが、著者の見解はユニークです。「この(モナ・リザの)絵にインスピレーションを与えた顔が誰のものであろうと、確かなことは、もはやモデル本来の顔にはまったく似ていないということだ。なぜなら、ダ・ヴィンチは、原形から完全に遠ざかってしまうほど、小さな詳細に至るまでマニアックに描き続けたからだ。時間の経過とともにレオナルドはこの絵に異常に執着するようになる。絶対に手放せないほどまでに心を奪われ、おそらく決して到達できなかったであろう結果を求めて描き続けるのである。信用できる仮説は、実在の人物の顔つきを描くことから始めて、少しずつ理想の肖像画に変えていったというもので、その過程において、新たなバランス感覚、革新的な陰影の効果、背景描写や感情表出などの実験を繰り返している。赤外線で探照された絵を見ると、レオナルドが、最初は、もっと細い顔、刺すような鋭いまなざし、微笑みのない唇を描いていたことが分かる。そして、何度も軽いタッチで筆を重ねることによって、顔の輪郭や目、特に唇の両端をぼかして顔立ちを和らげている。この、人を惹きつけてやまない表情は、長い時間をかけて丹精こめて描いた作業の賜物である。我慢強く注意を払いながら極細の道具を使って到達したものなのだ」。

レオナルドは、自らを職人とは考えない最初の画家、芸術家となったのです。そして、万能の天才と呼ばれるレオナルドが、実は挫折だらけの人生を送ったという事実は、私たちを勇気づけてくれます。