MRのリーダーシップの要件・・・【MRのための読書論(13)】
リーダー論の最高のテキスト
1人でも部下か後輩がいるMRは、リーダーとしての自覚を求められる。リーダーシップを学ぼうとする時、『君主論』(ニコロ・マキアヴェッリ著、河島英昭訳、岩波文庫)は必読のテキストだ。この本は、イタリアのルネサンス期の政治思想家マキアヴェッリの思想のエッセンスであるが、本文は190ページしかないので一気に読むことができる。『君主論』は、燃えるような情熱に溢れた憂国、警世の書であると同時に、比類のない鋭く深い洞察力に裏付けられたリーダー論なのである。
理想的なリーダーの実例
『君主論』の中で、理想的なリーダーとして挙げられているのが、冷酷非情なリーダーとして知られ、当時の人々から悪魔のように恐れられたチェーザレ・ボルジアである。マキアヴェッリは33歳の時、27歳のチェーザレに出会い、この青年君主が非常な勢いで上昇し、かつてなかったほどの輝きを放ちながら君臨し、そしてまた、非常な勢いで下降する様を、身近で逐一観察する機会に恵まれたのである。
「チェーザレの立ち居振る舞いは若さに似ず、威厳と気品に溢れている。愛されるとともに恐れられ、征服した領土には時を置かずに統治の策が実施される。すべての面で従来の考えから自由であり、その一例を挙げれば、傭兵制度を信用せず、国民皆兵制度(すなわち、自前の軍隊)の導入を実行に移しつつある。そして、決断力に富み、武将としても優れ、かつ戦略的頭脳を持ち、人の思惑など気にしない」と、イタリア在住の女流作家・塩野七生(ななみ)もべた褒めである。だが残念なことに、この人物はその活動の絶頂期に運に見放されて挫折、31歳で戦死するのである。チェーザレのことをもっと知りたい向きには、『チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷』(塩野七生著、新潮文庫)がある。
MRのリーダーシップの要件
マキアヴェッリは、「ことが祖国の存亡に懸かっている場合、その手段が、正しいとか正しくないとか、寛容であるとか残酷であるとか、賞賛されるものかそれとも恥ずべきものかなどは、一切考慮する必要はない。何にも増して優先されるべき目的は、祖国の安全と自由の維持だからである」と述べている。
正にマキアヴェッリの言うとおりで、この「祖国」を「組織」と読み替えれば、MRも教訓を得ることができる。リーダーはどのような環境に置かれようと、組織を沈没させてはならず、組織を維持、発展させていかねばならぬという使命、責任を負っている。そして、その目的を実現するためには、実行すべき時に、実行すべきことを、周囲の誤解や非難を恐れずに、勇気を持って実行することが、ぜひとも必要である。『君主論』に反面教師として登場する、組織を危うくした無能なリーダー、組織を潰滅させてしまった優柔不断なリーダーの二の舞いにならないために。
中間管理職マキアヴェッリの真実
『わが友マキアヴェッリ』(塩野七生著、中央公論社)の著者は、マキアヴェッリの本質は、仕事が面白くてたまらない有能なノン・キャリアの中間管理職であったというのである。彼が生きたのは、都市国家フィレンツェの国内外でさまざまな勢力が興亡し、合従連衡を繰り返した激動の時代であった。因みに、レオナルド・ダ・ヴィンチは彼より17歳年上、ミケランジェロは彼より6歳年下である。
『わが友マキアヴェッリ』に登場するマキアヴェッリは、肖像画に描かれた気難しそうなマキアヴェッリではなく、私たちの周囲にもいそうな仕事熱心な中間管理職のマキアヴェッリである。常に経費不足に悩みながらも、過密な仕事のスケジュールを前向きにこなしていく姿には、誰もが共感と親近感を覚えてしまうことだろう。やはり、どの時代であろうと、人間にとって一番幸せなことは、自分の能力を最大限に発揮できることなのだ。
理想的なリーダーの、もう一つの実例
『ユリウス・カエサル ルビコン以前』、『ユリウス・カエサル ルビコン以後』(いずれも塩野七生著、新潮文庫、上・中・下巻)の主人公ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)も、なかなか魅力的なリーダーだ。
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