静御前の毅然とした態度、曽我兄弟の仇討ちに対する頼朝の思い・・・【情熱的読書人間のないしょ話(516)】
川沿いの土手はヒガンバナで赤く染まっています。黄色のショウキズイセン(ショウキラン、リコリス)、薄桃色のシロバナマンジュシャゲもあります。シロバナマンジュシャゲはヒガンバナとショウキズイセンの自然交雑種と言われています。因みに、本日の歩数は10,263でした。
閑話休題、『北条九代記(上)――源平争乱と北条の陰謀』(作者不詳、増淵勝一訳、教育社新書。出版元品切れだが、amazonなどで入手可能)には、興味深いエピソードが記されています。
源義経の愛妾、白拍子の静が源頼朝・政子夫妻の命で、鎌倉・鶴岡八幡宮の回廊で舞った直後、工藤祐経、梶原景茂らが静の逗留先を訪れ、酒宴を開いた時のことです。「梶原三郎景茂は酔うほどにしどけなくなって、静に向かって好色めいたことばを吐いた。すると静はおおいに怒って涙を流しながら、『いやしくも伊予守殿(義経)は鎌倉殿(頼朝)の御兄弟、私はその伊予守殿の妾(おもいもの)です。鎌倉殿の御家人の立場におありになって、ふつうの女性にたわむれるように私にもそうしてよろしいと思っていられるのですか。義経殿がもし落ちぶれなさらなかったら、あなた方に私がお目にかかることもなかったでしょう。ましてすきずきしいことばをかけられたでしょうか。これにつけても、ああおいたわしい伊予守殿よ』と抗議して、衾を引きかぶって寝てしまった。そこで一座の者は皆興もさめて、帰るはめになってしまった」。静が不心得者をぴしっとやり込めたシーンが目に浮かびます。頼朝の眼前でも臆することなく義経への思いを詠い舞った毅然とした女性、静の面目躍如です。
曽我兄弟が仇討ちを果たした直後のことが、このように綴られています。「『(曽我)祐成・時致の兄弟が父の敵(工藤祐経)を討った』ということを、宿直番の者どもが聞きつけて、走り出ていって、負傷した者が少なくなかった。十郎祐成は仁田四郎忠常に討たれ、また、五郎時致は頼朝卿を目ざして乱入したところを、小舎人(召使いの少年)の五郎丸に捕らえられた。頼朝卿は五郎を御前に引き出し、じきじきに仇討ちのわけをお聞きになった。・・・頼朝卿は兄弟をふびんに思って助けたく思われたが、祐経の長男の犬坊丸が嘆き訴え申したので、五郎時致は斬られてしまった」。冷酷な性格と言われる頼朝にも、曽我兄弟の17年間に亘る苦労と思いが伝わったことが分かります。