ホロコーストの常識を根底から覆す警告の書・・・【情熱の本箱(158)】
『ブラックアース――ホロコーストの歴史と警告』(ティモシー・スナイダー著、池田年穂訳、慶應義塾大学出版会、上・下巻)は、我々がホロコーストに対して抱いている常識を根底から覆す警告の書である。
第1の常識は、アドルフ・ヒトラーは狂人だったと考えること。いくつかの点では確かに狂人であったが、同時にヒトラーは大変な戦略家であり、彼のアイディアの中には政治的に有効だったものがたくさんあり、今日でもそれらに共鳴する者がいるというのだ。
第2は、ホロコーストは主にドイツで行われたと考えること。実は、ホロコーストは全て、戦前のドイツの国境線の外で起きたのである。
第3は、ホロコーストはドイツのユダヤ人に対して行われたと考えること。犠牲者の97%はドイツ国外出身のユダヤ人だったのである。
第4は、ホロコーストは強制収容所で行われたと考えること。現実には、ユダヤ人のほぼ半数は死の穴の縁で殺害され、また収容所ではなく、特別なガス殺の設備で殺害されたのだ。
第5は、ホロコーストの加害者は全てナチスだと考えること。殺害に携わったドイツ人の多くはナチスではなかったし、そもそも殺害者のほぼ半数はドイツ人でさえなかったというのである。
第6は、ホロコーストは政治の領域を超えた出来事だと考えること。ホロコーストは国家崩壊の地域で生じた特殊な政治だというのが、著者の主張である。
第7の常識は、ホロコーストは理解を超えた出来事だと考えること。著者は、ホロコーストは理解できるし、理解しなければならないと断言している。ホロコーストと似たことが将来起きるのを防ぐために、ホロコーストは理解されなければならないというのだ。
本書はホロコーストの史実を丹念に時系列で辿っているが、とりわけ私の勉強になったことが3つある。
その1は、ヒトラーが何を目指していたかということ。ヒトラーは、ユダヤ人の老若男女を一人残らず殺害することを目標としていた。彼は、ユダヤ人が腐敗した地球規模の秩序を生み出し強化した者たちであると見做していたのである。「食糧は、ドイツ領内の土地をより肥沃にする科学によってではなく、肥沃な領土を征服することでのみ守ることができるのだ。ユダヤ人は、ドイツ人の征服の欲求を挫き、ドイツ民族が崩壊するのを準備するために、故意にそれとは反する信念を助長した」。ヒトラーがこう考えてからほぼ1カ月後の1941年8月に、彼の部下たちは、ヨーロッパの真ん中、彼ら自身で無政府状態にした環境の下、ウクライナの黒い土(ブラックアース)に掘られた穴のすぐ傍らで一時に万という単位のユダヤ人の大量射殺を始めたのである。
ヒトラーは、限られた資源、土地、食糧を確保しなければ、ドイツ民族の未来はないという生存競争の妄想に駆られていたのである。
その2は、オスカー・シンドラーや杉原千畝、ラウル・ワレンバーグのように広く知られたケースではないが、自らの命の危険を冒しながら、どんな組織の支援もないのに、逃亡し助けを求めてきたユダヤ人を匿った正義の少数者が存在したこと。
正義の少数者の一例を挙げておこう。「19歳の娘イダ・ストラツは、ポナリーの森の長い穴に向かってリトアニアの警察官に引き立てられていった。彼女は銃撃の音を聞いていたし、今度は死体の列が見えた。『これで終わりだわ』とイダは思った。彼女は、銃弾が頭や身体をかすめてゆく時に、塹壕の縁に他の者たちと裸で立っていた。彼女は死んだふりをしたのではなく、ただ恐怖から、まっすぐ後ろに塹壕の中に倒れ込んだ。彼女は次々と死体が上に載ってくる間じっと動かずにいた。穴がいっぱいになると、誰かが死体の積み重なった最上部の層の上を歩いてきたが、死体が堆積している中へと銃を下向きに撃っていった。銃弾が一発イダの手を貫通したが、彼女は音を立てなかった。土が穴の上に投げ込まれた。イダはできるだけ長い時間待ってから、死体を押しのけ、土を掘り抜いていった。服も着ず、泥まみれのうえ、自分のも他人のもあるが血まみれで、彼女は助けを求めた。1軒いなか家を訪ねたが追い返された。2軒目、3軒目と同じことだった。そして4軒目で手を差し伸べられて、イダは生き延びた」。
その3は、ホロコーストは国家が崩壊した地で起こるということ。国家の終焉は国家の保護の終焉を意味するのである。「戦時中、才能ある政治思想家ハンナ・アーレントは、何が起きているのかをおぼろげに感知していた。ドイツからのユダヤ人政治亡命者として、アーレントは国家社会主義イデオロギーがどのように具現化されうるのかを理解した。ユダヤ人がこの惑星から排除されるべきだというのなら、彼らはまず国家から切り離されなければならない。アーレントが後年記したように、『好き勝手をやれるのは、国家を持たない人間たちが相手の時だけ』」。「ユダヤ人は、彼らがそこの市民である国家の崩壊によって危うい状況に置かれた。ドイツによるポーランド攻撃という1939年の戦争は、国家が新たな植民的な方向性に沿って粉砕されたので、新種の剥奪をもたらした。けれど、ゲットーに押し込めることや植民地的秩序を宣言することでさえ、ホロコーストを促すのに十分ではなかった。さらに何物かが必要だった。それが、国家の二重の崩壊である。・・・ドイツ人は(アーレントの言う)『好き勝手をやれる』状況、大量にユダヤ人を殺害できる状況を、ソ連に侵攻した1941年に初めて見出した。『最終的解決』が形になったのは――ソヴィエト支配がドイツ支配の先触れになり、戦間期の国家群をソヴィエトが破壊したのに続いてドイツがソヴィエト化された国家機構を消滅させた――二重の占領が行われた地域だった。1939年にドイツの支配下に入ったほぼ200万人のユダヤ人はほとんどが死ぬ運命だった。1939年と1940年にソヴィエト支配下に入った200万人のユダヤ人も、また然りであった。実際に、まずソヴィエトの支配下に入ったユダヤ人が、ドイツによって最初に『ひとまとめに』血祭りにあげられたのだった」。
ヒトラーとヨシフ・スターリンの野望の狭間で、完膚なきまでに国家機構が破壊され、無法地帯に陥ったポーランドやウクライナの肥沃なブラックアース、まさにその地でホロコーストが行われたのである。
著者は、今後もホロコーストが再現される可能性があると警告を発している。我々一般市民が将来のホロコーストを防ぐためにできることは何か。「いかなる外的な動機づけも、外部の組織からの支援もないままユダヤ人を救助した『正義の少数者』が残した美徳の教訓は、我々が必ずや覚えておかねばならない、そして生きるよすがにすべきものです。もっと多くの非ユダヤ人がユダヤ人を救おうと危険を冒したなら、もっとたくさんのユダヤ人が生き延びたことでしょう。けれど、我々は、自分たちについても、自分たちの限界についても、現実的でなければなりません」。歴史を掘り起こすこと、記憶し記念すること、人間的な振る舞いに心揺さぶられること――が重要だというのだ。
全く新しいホロコースト論の誕生である。