外来種が生物多様性を損なっているという神話を疑えという主張・・・【情熱の本箱(189)】
いくつかの野鳥観察会、昆虫観察会、植物観察会に参加している関係で、会員間で在来種と外来種の問題が話題に上ることがある。外来種の駆除活動に熱心な人や外来種の繁栄に眉を顰める向きが多いが、外来種に寛容な人も少数ながら存在する。どちらかと言えば、私は在来種を応援する立場に与してきたが、『外来種のウソ・ホントを科学する』(ケン・トムソン著、屋代通子訳、築地書館)を読んでからは、正直なところ、頭の整理がつきかねている。
著者は、本書で、そう単純に外来種を悪役と決めつけていいのかと、外来種憎悪派に一歩立ち止まるよう求めている。
著者の主張は3つに整理することができる。
主張の第1は、在来種だ、外来種だと気安く言うが、君は自信を持って、そう言い切れるのかということ。これは科学的な問題提起だ。
著者は、我々に「ラクダはどこのものか?」という設問を投げかける。安易に「中東」と答えた瞬間に、著者の術中に陥ることになる。ラクダ科は4000万年ほど前に北アメリカで進化し、およそ1000万年の間は、現在のテキサス、カンザス、ネブラスカ、アリゾナに当たる地域に広がっていた。それからずっと後になって、ラクダは南アメリカに進出し、一方、更新世の氷期には何度か地続きになったベーリング海峡を経由して、アジアへも渡った。ラクダたちはごく最近まで北アメリカにも棲み続けたが、8000年前に絶滅した。アジアに渡った子孫が、北アフリカと南西アジアのヒトコブラクダ、そして中央アジアのフタコブラクダであり、南アメリカ系の子孫が、ごく近縁のリャマ、アルパカ、グアナコ、それにビクーニャだというのである。なお、オーストラリアでは、現在世界で唯一、野生のヒトコブラクダが見られるそうだ。
上記から、こういう結論が導かれる。「生き物がどこに属するのか、在来種なのか侵入種なのか、という問いに、明快な答えはない。それはラクダのケースと同じだ。というよりも、何かが今(あるいはごく最近)たまたまある場所にいることがあたかも特別な必然であるかのように決めつけようとはしない世界観を採ったなら、それが何であれ、どこに属するかという問いに明快な答えは出てきようがなくなるのである」。
主張の第2は、外来生物が世界中で、生物多様性に対する脅威になっているという神話は嘘だということ。「一般的に言って、わたしたちは、愛らしくてわれわれに厄介をかけない動物や植物が好きだ。さらに言えば、生息数が減少している生き物が好きで、彼らになりかわって頑張ってしまうことさえしばしばある」として、世界各地における多くの実例が示されている。
ここでは、オーストラリア大陸のディンゴの例を見てみよう。「不運にもディンゴは一貫して嫌われ者で、とりわけヒツジの王国では迫害され続けてきた。今やイエイヌとの交雑という脅威にもさらされている。彼らの最大の過ちは、完全無欠の固有種ではなかったことだ。ディンゴはおよそ4000年前、東南アジアから膿を渡ってきた人々に連れられてオーストラリアにやってきた。外国生まれの渡来者であるにもかかわらず、ディンゴこそ、オーストラリアで絶滅の危機に瀕している小型有袋類を救うカギなのだ。ヴィクトリア州はようやくにしてその事態に気づき――いささか遅きに失したが――、ディンゴを絶滅危惧種のリスト入りさせることにした」。ディンゴはもう何千年もの間、オーストラリアの生態系の一部をなし、重要な役割を担ってきた生き物なのだ。
事程左様に在来性というものをあまりに厳格に適用しようとすれば、ヨーロッパの自然環境を新石器時代以前に戻すしかなくなってしまうと、著者が皮肉っている。
「厄介なのは、危機に瀕している種のほとんどが、ひとつならぬ要因に攻められていることで、原因として最も大きいのがどれかを決めるのは容易ではない。よそからやってきた生物は、ほんとうに在来種をひどく脅かしているのか、それとも彼らはただ単に、環境汚染や気候変動や生息環境の破壊によってできた隙間にちゃっかりと居座っただけなのか。ただ確実に言えることがひとつある。2007年末の時点で、連邦共和国としてのアメリカ合衆国からも、アメリカのどの州からも、外来種との競争で失われた植物種がひとつでもあるという証拠は皆無なのだ」。例を挙げて、動物も同様だと述べている。
「わたしたちには、何が在来種で何が外来種かわからないことが多い。そしてその両者をどう定義するかは、わたしたちの好き嫌いに呼応してしばしば捻じ曲げられる。たしかに有害な外来種は締め出しておきたいが、害を測定するのには長けていない。また、栄えている外来種のほとんどが、単に人間が生み出した隙間をうまいこと利用しているだけで、たいていは彼らもまた、人間が与える恩恵の受け手にすぎないという事実を認めたがらない」。
主張の第3は、外来種根絶運動は成功が覚束ないだけでなく、費用対効果の面でも得策ではないということ。「世界は、導入された生物が何千となく定着して、常に変わり続けてきた。そしてごく少数(主に小さな島)のケースを除いては、その生物を根絶するのは現実的ではない。外来種はすでに根を張っている。とすれば、次善の策は多くの場合、根絶から回復へと視点を移すことではないだろうか。そして外来種の多くも何らかの有用な機能を果たしていると認め、もっと柔軟に取り組んでみることではないだろうか」。
本書によって、「外来種による侵入が生物多様性を損ない、生態系の機能を失わせる」、「外来種は私たちに多額の損害を与える」、「外来種は悪者、在来種はいい者」といった外来種にまつわる諸神話は科学的に論破されたと言ってよいだろう。